パトリック・ヌュジェの声には温かみがある。
その声で「パリのエスプリ」の数々を歌ったのが、このアルバム「私の好きなシャンソンたち」。
パトリックの歌声は、パリのアパルトマンの一室の開け放たれた窓から、風に乗って外の世界へと流れて行くかのようだ。
それはたとえばフランスより南の国、たとえばブラジルの空気とも混ざり合うかのようだ。
彼の歌にはいつも南国の風が吹いている。
フィーリングをこめ過ぎない方が伝わりやすい歌があることを彼は知っている。 だから力まない。声を張り上げることもしない。自ら弾くアコーディオンの音色のように軽やかに歌いついでゆく。
「パリ野郎」(5)、「行かないで」(7)、「愛の讃歌」(10)などを重く歌う歌手は多い。彼はそうした人たちの逆を行ってみせる。そこから、他では聴けない味わいが生まれてくることを知っているから。
女性歌手アンヌ・リーズと掛け合いで歌う「あなたの目よりも青く」(9)は興味深い。
生前のエディット・ピアフの歌声に、1997年になってシャルル・アズナヴールが73歳の自分の声をかぶせて録音したのに倣ってのデュエットだ。ここでのパトリックの声は驚くほどアズナヴールに似ている。
アンヌ・リーズの声もまたピアフを彷彿とさせるものがある。
注目したいのは「ヴィ・ヴィオランス」。《Vie Violence》と原語で書くまでもなく“ヴィ”"vi"という音がどちらの語の冒頭にもある。
“ヴィ”は「人生」、“ヴィオランス”は「暴力」。
クロード・ヌガロが1993年に発表したアルバム《Chansongs》「シャンソン」のトップに収められている曲だ。歌詞をヌガロ自身が書き、曲をアコーディオニストのリシャール・ガリアノが書いた。
こんな言葉で始まる。
「ヴィ、ヴィオランス 対になっている 両者は揺れ動く 天国と地獄」。
人生のなかに暴力があるとすれば、その逆もまた然りだろう。
ここでのパトリックは、他の曲にない激しさを見せて歌う。これは実に的を射たやり方だ。
世界的に活躍して数々の賞に輝くアコーディオンの巨匠マルセル・アゾラが、ほとんどすべての曲に参加している。また、いま日本で売れっ子の桑山哲也も「行かないで」で共演した。
その意味でも興味の尽きないアルバムと言っていい。