これが正真正銘のジルベール・ベコー最新作であり、遺作。泣いても笑っても、新譜はもう出ない。
こう書くだけで辛い。まだ大ジョッキ何杯分かの涙が両眼からほとばしり出るから。
ご本人はもうこの世にいないのに、いまこうしてキーボードを叩いている瞬間にもスピーカーから彼の声が、声だけが聞こえてくる…。聴く度に嬉しくもあり、寂しさがつのる。
でも、冷厳たる事実を受け入れなくてはならない。残された曲に耳を傾けながら、悲しみを乗り越えよう。せいぜい、“ムッシュ10万ボルト”の輝きを曇らせないように努めながら、このささやかな紹介文を僕の葬送の辞の代わりとして故人の霊に捧げたいと思う。
何度も繰返し聴いた。いまも聴いている。聴き終わる度に「さあ、書くぞ」と思う。が、すぐに、無力な自分を思い知る。死を前にしてもこれほどの燃焼ぶりを見せる本物のシンガーに比べて、どれほどのことが僕に言えるというのか。贈る言葉は賛辞しかない。
ジャケットのポートレートが暗示的だ。これから向かおうとしている天空を仰いでいるようには見えないだろうか。
収録曲数が13曲とは…。詳しい事情は知らないけれど、この不吉な数はベコー自身が決めたものだろうか。ステージ中央、マイクスタンドを置く位置を示すテープを決して×印の形に貼らせなかったというのに。×印=十字架を踏みつけることになるのを嫌っていたから。それほどの人が、キリスト教徒にとって不吉な“13”という数字を選ぶなんてちょっと意外なのだけれど。
ジャケットを開くと左にブックレットが綴じ込まれている。
見覚えのあるポーズの写真が目を惹く。タバコをくわえながら、鏡の前で水玉模様のネクタイを締めているところだ。数分後、ここから彼の登場を待ちかねた観客たちの前に飛び出して行く。出陣前の神聖なる瞬間。
ブックレットを開くとガヤのメッセージ。言わずと知れた、ベコーの長男だ。
父を失った息子の心情がまず述べられている。「でも」と続けて書く。「僕は幸せです。ジルベールが始めたことを仕上げることになっているのですから。それは新しいアルバムです。いくつかの新曲と、父がルイやピエール、モーリス、クロードたちと書いたかつての曲の新しいヴァージョン。これらの旧曲はよくできていますから」。
「さていま…、僕は初めてスタジオにひとりでいます…。いいえ…、父はそこにいます。僕たちみんなと一緒に」。
その後、父ベコーを取り巻いていた人たちの名を挙げていく。なかには日本でのツアーで顔を合わせた懐かしい名前もある。謝辞とともに、最後をこう結んでいる。
「そしてもちろん、ジルベール・ベコーを永遠なる者にしてくださる観客のみなさん方と」。
全曲にわたって、ちゃんと声が出ているのでまずは安心する。高音の箇所でかすれるようなこともない。
2曲目の「喜望峰」が最新の曲。作詞はクロード・ルメール、曲は他の作品同様ベコーが書いている。
「彼女は私の喜望峰」と歌う。“彼女”は誰をイメージしたものだろう、などという下司の勘ぐりはやめておこう。女性ファンの方々は「きっと私のことに違いないわ」とお思いになる特権がある。僕たち男どもは、そうやって少女のように頬を染めている彼女たちを微笑みながら眺めていればいいのだ。
同じ作詞家による「狼の死」(6)では、人間の身勝手さに注意を促している。「人間は危険にさられてはいない/狼は食べるために殺す/狼たちは死なないために殺すのだ/人間たちは楽しみのために殺している」。
聴く者の心の奥深くに届く歌を歌い続けてきたベコー。その姿勢は最後まで変わらなかった。
「私は旅立つ」(1)は1966年の曲。
「それは必ず起こるだろう 私は旅立つ/きみは泣くだろう/そのことで私は涙を流すだろう/きみは憎むだろう 私はきみに同情するだろう(中略)/そのことで驚いてはいけないよ 私は旅立つ/誰にも迷惑かけたくないんだ/私は旅立つ」
これがトップに置かれたことは、好むと好まざるとにかかわらず、いまとなっては重たい意味を持つようになってしまった気がする。本当にベコーは旅立ってしまったのだから。
クリストフ・バルディとベコーが歌詞を書き、ベコーが作曲した「私たちは進む」(3)。アレンジャーとしてレオナール・ラポーニの名が掲げられている。日本ツアーで顔を合わせたベーシストだ。あいつも出世したんだなぁ。
追い立てられるようなテンポ。鞭打つようなリズム。「歩いて行かなければならない 歩かねば/いつでも歩いて行かなくては/前に進むことが必要だ/勝利を収めながら」。
こうした思いがベコーを駆り立てていたのかもしれない。それが彼の死期を早めたとしたら…。歌ということをつい忘れそうになる作りだ。
続く「愛の列車」(4)は、作詞をしたセルジュ・ラマとのデュエット。初め何気なく聴いていたら、歌い出しの声が若いので「あれ」と思った。ジャケットを見て、「ああ、ラマが最初にソロを取ったのか」と納得。珍しい取り合わせが意外な、1978年に発表された曲。
「光の中に」(5)は66年の作品。「孤独から抜け出て 光のなかにおいで」と友に語りかけるスロー・バラード。ラストの歌詞がまた重たい意味を持つように感じられてしまう。「おいで 私に思わせないでくれ/煉獄で/人は幸せでいるなんて/おいで 光のなかに/地獄からでも/神様のもとからでも おいで おいで 来るんだ」。
ルイ・アマード、ピエール・ドラノエとともにベコーの重要な作詞家のひとりだったモーリス・ヴィダランが歌詞を書いた「ある恋のアヴァンチュール」(7)。望みを失っていた男が友人たちのおかげで再び元気を取り戻すというストーリーに、僅かばかりの救いを見る思いだ。
カントリーフレーヴァーの曲が二つ。「道の果てに」(8)と「りんごの木」(9)。ベコーが好きだったアメリカン・サウンドの一端が見受けられる。
前者はミヒャエル・クンツェの原詞に、クロード・ルメールがフランス語歌詞をつけたもの。土埃舞い立つ田舎道を自動車で行く雰囲気がよく出ている。
後者は81年の来日公演でも歌った。「リンゴのなる/リンゴの木の下に/しっかり座って/実が落ちて来るのを待ってもいいじゃないか」。と始まる、のんびりした歌。
次がそのものずばり「オー・ルヴォワール(さらば友よ)」(10)。「あちこちの道や/ワインに濡れた 祭りの日の舗道を走っていた時/友よ/僕たちの歌はこう歌いかけていたものだった/この人生がいつまでも続くだろうと…」。ハーモニカが奏でる「蛍の光」に続けて、「オー・ルヴォワール」(さよなら)のコーラスが流れる。
アニー・コルディがベコーに代わって2曲、ミュージカル「マダム・ローザ」の挿入歌を歌う。「ブラヴォー」(11)と「もう少し生きなければ」(12)。どちらかといえば、ファンテジストとして愉快なステージで知られる、ベルギー出身のこの女性歌手が、シリアスなミュージカルに抜擢された。
エミール・アジャール(またの名をロマン・ギャリ)の小説「これからの人生」をミュージカル仕立てにしたものだった。いろいろな曲折を経て1986年、バルティモアで初演され、87年10月1日にブロードウェイで幕を開ける。フランス公演まではまだ待たなければならなかった。
第二次世界大戦中にナチスによって行なわれた、ユダヤ人虐殺の思い出に連なるミュージカルで、コルディの歌声には“人間の声”の持つ凄まじいまでの真摯さが息づいている。
ラストは「救いを求めて」(13)で、1980年に発表されている。ゴスペル調の激しいコーラスが効いたアレンジだ。「チャーリーの天国」(77年)にも似たドライヴ感がみなぎっている。
「あんた ガリラヤの男よ/私は戻って来ると言っていたねいまこそ その時だと思うんだが どうだ」と結ぶ。「ガリラヤの男」とはイエス・キリストを指す。
聖書の伝えるところによれば、イエスはこの世の終わりに再臨すると言い残している。世も末と思わせるような事件が続く昨今ではある。が、本当の終末が来る前に、ベコーの方からイエスに会いに行ってしまった…。
かつての曲が多いとはいえ、ベコーが「これこそは」と念じて最後に残したメッセージをしっかりと受け止めたい。