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作 戦 会 議   10月3日(金)晴れ

 

 昨夜は楽しい作戦会議だった。
 物騒な相談をしたわけじゃない。いたって和やかな、僕の大好きなコンヴィヴィアル convivial(e) な雰囲気のうちに進められたちょっとした集いだ。

 嬉しいことに、今年1月に出版したCDカラオケつきの本『シャンソンで覚えるフランス語―1』(第三書房)が初版を売り切って版を重ねることができた。
 そこで第2集を出そう、ということになった。
 同社編集長のHさんによると、都内にある某大手書店などからばかりでなく、読者の方たちからも直接に電話で「次はいつ発売されるんですか」との問い合わせがよくあるそうだ。「こんな曲を入れてほしい」といった具体的な提案をされる方もいらっしゃるとか。
 編著者としてはますます嬉しくなってくる。

 喜び勇んで、しばらく前から第2集の選曲にとりかかった。読者の方々のリクエストも考慮に入れたのはもちろんのこと。
 これからは8曲を収録することになったのでその候補曲をHさんに見て貰った。オリジナルのCDカラオケを発売しているプリュリエル社から音源の提供を受けているので、さっそくHさんがその素案を先方に打診、快諾を得た。

 そこで、楽曲使用料を支払う相手先のJASRAC(日本音楽著作権協会)にこれらの曲を申請したところ、1曲に関して問題が起きた。ある楽曲の著作権を管理しているのはAという音楽出版社1社が受け持っているのが普通だ。が、僕たちがぜひ入れたいと望んでいるその曲の管理には2社が絡んでいるのだ。原詞を本に掲載するに当たってはその両者の許諾を得なければならない。いま、そのうちの1社からの返事を待っているところ。
 それ以外の7曲についてはまったく問題なくOKを貰っている。

 物事は何から何までスムーズに進みはしない。多少の困難があるからこそ、それを克服した時の喜びは増す。山登りの経験からそれは身体にしみついている。
 そうした途中経過を確認しながら飲んだり食べたりしようということになった。『シャンソンで覚えるフランス語―1』で文法の解説を執筆してくださっている野村二郎先生、Hさんと僕の3人が集まった。それが昨夜の作戦会議。

 第三書房は新宿区矢来町にある。僕が育ち、いまも母が暮らしている市ヶ谷薬王寺町からもさほど遠くない。不思議な縁を感じる。
 会議の場所は同社の近くにある「もりのいえ」に決まった。第1集が刊行された折に祝賀会をした神楽坂にある店だ。

 神楽坂を象徴する毘沙門天の左脇を入ってまっすぐ行った小路の先に、そのレストランはある。外壁に小さな窓がいくつか穿たれていて、通りすがりのついでに地下にある店内の様子がうかがえるようになっている。
 ドアを開け、階段を下る。ゆったりとした店内にグランドピアノが置かれている。その傍らにはウッドベース。夜8時過ぎからはジャズの生演奏が楽しめるようになっているのだ。
 徳川家、大久保利通両家の子孫というお二方も常連で、仲良く歌を披露なさるのもこの店ならではの魅力となっている。

 Hさんとオーナー氏とは旧知の仲。「おまかせコース」を注文する。リンゴのワイン煮、イカとキノコの炒め物、シュウマイなどとりどりのうまい料理が運ばれて来る。
 メドック、オーストラリアのピノ・ノワール、イタリアのオーディナリーと3種類のワインを代わる代わる料理の伴としながら話に花が咲いた。

 『シャンソンで覚えるフランス語』の基本コンセプトを確認し合った。フランスに昔から伝わる古謡シャンソン・ポピュレール chanson populaire、懐かしいシャンソン、そして比較的新しいレパートリーという三本柱だ。
 日頃から楽しくお話なさる野村先生、ワインを召し上がりながらだとまさに水を得た魚。こんな話も飛び出した。
 先日、お知り合いが亡くなられたそうだ。「そういえば電話をかけてきて、長いこと話し込んでいましたね。長電話で、しかも奥さんの悪口ばっかり言う。どうもそういう人は危ないんじゃないでしょうかね」。初耳だったけれど、そうした例をいくつもご覧になっておられるそうだ。
 もし友人や知人からそんな電話がかかってきたら、それとなく話題をそらしてあげましょうね。

 第三書房はフランス語やドイツ語の教科書出版を手がけている。
 Hさんによると、新たにフランス語を学習する人口は減っているという。原因としてはまず社会現象としての少子化が挙げられる。大学に進む人数そのものが少なくなっているのだ。

 そもそも絶対数の少ない大学生が、1年生の一般教養で習得する「第二外国語」としてフランス語を選ぶケースも多くないのだそうだ。僕たちが大学生の時分には2年生までは学ぶことが義務づけられていた。
 ところが、いまではそれがなくなってしまった。面倒臭い語学の勉強なんて1年間でたくさん、という学生が多いということなんだろう。

 堪え性のない若者のわがままを唯々諾々と受け入れ続けていれば、大学はますますレジャーランドと化してゆくしかなくなるんじゃないだろうか。
 学ぶという行為には、多かれ少なかれ苦しさが伴うものだ。それを楽しいことだと気づかせてやるのが大学の責務だと思うのだが。でもこれは、現場を知らない者の戯言なのかなぁ。

 今後ますます大学生の数が減少してゆく傾向を押し留めることは難しいだろう。だからといって、フランス語に関心を持つ人たちがこの日本から消え去ってしまうわけじゃない。それは『シャンソンで覚えるフランス語』が売れていることからも推察できる。

 かつてフランス語を学んだ経験があって、機会があれば勉強し直したいと望んでいる人だって少なくない。当サイトの「アンケート」にもそれは垣間見える。
 そのほかにも関心を持つきっかけはいくつもあるだろう。「アンケート」で「シャンソンをフランス語で歌ってみたい」と答えている人の数を見ても分る。潜在的にはもっと多いのではないだろうか。僕は楽観的に考える。そうしたニーズをとらえたり、喚起する手立てを見つければ必ずや活路を見出すことはできる。

 個人的な感想を述べよう。僕はいま銀座産経学園で「フランス語でシャンソンを歌いましょう」(毎月第1金曜日の午後1時30分〜午後3時)という講座を受け持っている。
 毎回足を運んでくださる受講生の方々はみな、大きな声で楽しそうに歌っていらっしゃる。機会さえあれば、こうした学ぶ楽しさを経験したいと望んでおられる方は決して少なくないのだといつも感じている。

 作戦会議を終え、地下鉄の駅まで歩く火照った頬に夜風が心地良い。金木犀の甘い香りに秋の訪れを感じながら、改めて思った。
 『シャンソンで覚えるフランス語』は、そのような方たちのお役に立つ本であり続けたい、と。

   


   

ブリュッセル便りをいただいた  10月2日(木)晴れ

 

 やらなければならない仕事があるのに、スランプ気味な日々が続いていた。何とか気持ちを奮い立たせようとしても身体ごと仕事からUターンしてしまう。
 それでも少しずつ、そんな状況から脱け出しつつある。根っからの怠け者というわけじゃない自分を見出してほっとする。

 予定ではとっくに平凡社から上梓しているはずの本で手間取っている。評論家・北中正和さんの仲立ちもあって知り合い、『ピアフ 愛の手紙 あなたのためのあたし』を出版することができたのは、同社の編集者Sさんのおかげだった。
 その本が書店に納入される前から、Sさんは次の企画を持ちかけてくれた。
 この件は以前にも本欄に書いたけれど繰り返す。僕の好きなシャンソン・フランセーズのアーティストを数名について原詞と対訳を並べて語るように、という内容。願ってもない企画だ。
 プログレッシヴ・ロックやバート・バカラックなど多彩なテーマに基づくシリーズの1巻として発売することになっている。ブルーの装丁で統一されたシックな作りの本。打ち合わせしながら、完成した姿を思い描いて興奮を覚えた。

 ところが、すぐに頭を抱えてしまった。「好きなアーティスト」を絞り込むのが至難の業なのだ。取り上げたいアーティストは数限りない。それぞれが1冊の本に値するような人たちだから。
 本全体のページ数は決まっている。涙を呑んでお引取りいただかなければならない人の方が圧倒的に多くなる理屈。選ばれなかったアーティストたちには、何だか申し訳ないような気持ちになってしまう。

 「7月には出しましょう」。Sさんはそう言ってくれた。いま10月…。
 これまでに何回か念を押されたけれど、あちらもご多忙の身。矢の催促ではないのをいいことに、当方は思案投げ首。そうこうするうちに、自分の力不足を感じてきてスランプ状態に陥ってしまったというお粗末。

 先日もSさんから1冊の本が送られてきた。『ビートルズ日本盤よ、永遠に 60年代の日本ポップス文化とビートルズ』。著者は音楽評論家・恩蔵茂さん。
 あのスーパースター4人組を売った歴代レコードディレクター諸氏に綿密にインタヴューしてまとめられた本で、時代の空気が写し取られていて楽しい。
 でも、読み耽ってばかりいてはいけないんじゃないか、と気づく。これはSさんの尻叩きに他ならないように思えてきたのだった。

 迷いに迷った人選に決断を下さなければ何ひとつ前には進まない。どうにか14人を選び出した。あとひとり入れたいなぁ、とまだ悩んでいる。
 原詞と対訳を掲げるからといって、作品論に終始したら読者は飽きてしまうかもしれない。そこで、そのアーティストの人となりを示すエピソードも添えよう、と思いついた。シャンソン・フランセーズ史上に名を残すほどの人なら、何かしら興味深い話が語り継がれているはずだ。

 ジャック・ブレルも選んだ。当然の選択と言えるだろう。今年は没後25周年に当たることでもあるし。(とはいっても、年内に本を出せそうにないけど…)
 ひとつ気に入っているエピソードがあるのだけれど、いまひとつ裏が取れていない。同じ内容の話が異なった資料のなかに見当たらないと、やはり少し不安が残ってしまうからなぁ。ベルギーに本拠を置くジャック・ブレル財団(Fondation Jacques Brel http://www.jacquesbrel.be/)に問い合わせる手もある。でも返事を貰えるとは限らないから、代案も用意しておかなければならない。

 東京ヴァリエテ倶楽部のうさ公さんからメールが届いた。ご主人とブリュッセルに行ったそうだ。「現地はとても寒くて、コートにセーターでした」とある。

  > コクトーが世界一美しい広場と称したグラン・プラス近くの
  > ギャルリー・ド・ラ・レーヌのCDショップに行った際の写真を
  > アップします。売場の中は、フランスのCDが多くて、
  > ベルギー出身のアーティストの見出しには国旗シールが
  > 貼ってありました。
  > フランス同様、ブレルの生まれ故郷のベルギーでも没後25周年の
  > 様々なイベントがあるようです。(しかし、フランス語圏の
  > ブリュッセルのみ?)
  > 
  > 乗り継ぎのチューリッヒ空港ではラジオから流れるパトリシアの
  > 曲が偶然聞けてにんまり。
  > ちなみに、《If you go away》だったので、これまたブレル絡み。

 同倶楽部の共有ファイルにアップされた写真を見た。たしかにCDショップにブレルの特別盤が賑やかに並んでいる。

    写真提供:うさ公さん(東京ヴァリエテ倶楽部メンバー)

 このところ《Comme quand on etait beau》と題するDVDが出ているし、16枚組のボックスセットもリリースされたばかり。これには1977年にレコーディングされた未発表曲5曲も含まれていて興味津々。
 1998年に出たトリビュート・アルバム《Aux suivant(s)》に、新たにベナバール、エッフェルが歌う2曲を加えたアルバムもお目見えしている。どれもこれもほしくなってしまう。

 うさ公さんはもともとパトリシア・カースのファン。そこでチューリッヒ空港で彼女の声を聞けて嬉しい気分になられた。しかもその曲、英語のタイトルになっているけれど、まぎれもなくブレルの名曲「行かないで」。微笑みのわけが分ろうというもの。

 うさ公さんはその他にも、ベルギーの首都のあちこちで同時開催されている記念イヴェント「ブレル、ブリュッセル、2003」《Brel Bruxelles 2003》http://www.brel-2003.be/intro/intro.htm についての情報もくださった。

 そのWebサイトに飛んでみた。ブリュッセルの夜景写真の上に目次がある。それぞれの項目をクリックすれば知りたい情報にアクセスできる。
 市街図に沿ってブレルが散策しただろう地区をたどるコースが用意されている。
 ブレル財団が主催する展覧会の案内もある。「ブレル、夢見る権利」《Brel,le droit de rever》。ブレルが来訪者に自身の人生を語りかけてくるような雰囲気を作り出しているそうだ。

 今年3月から始まっているのでなかには終わってしまった催し物などもある。
10月いっぱいが会期のようだから、いまからでも間に合うものを「その他のイヴェント」《Autres evenements》というコーナーで確認できる。
 今月にブリュッセルに行く予定のある方は、ぜひご覧になられてはいかがだろうか。

 自作のシャンソン「ブリュッセル」で描いた街の様子は1900年頃のものだ、とブレルは評論家ジャン・クルゥゼに語っている。彼自身が育った時代の街にはあまり愛着を持っていなかったらしい。(Jean Clouzet《Jacques Brel 1/de Bruxelles a Amsterdam》p.80 ed.Seghers 1988)
 1929年生まれの作者自身も見ていない街の姿ならば、いま現地に行けない僕のような者も「ブレル、ブリュッセル、2003」のサイトをさまよい歩きながら、思うさま空想の翼を広げることも許されよう。

   


   

気がつけば秋   10月1日(水)快晴

 

 昨日は風が強かった。ちょいと勢いがあり過ぎるようにも思えたけれど、そのせいで空気はからっとすっきり。
 「天高く馬肥ゆる秋」と言う。あの風に空気中のごみなどが吹き飛ばされたせいか、たしかに空がこれまでよりも高く見えるようだった。
 「肥ゆる」のは馬ばかりではない。こちらもしばらく前から腹のあたりに贅肉がついている。秋は食べ物が何でもうまいから、食べ過ぎに注意しなくちゃ。

 ふと気がついてみると、秋はもうそこに来ている。しばらく前まで昼は蝉、夜はコオロギなどの秋の虫が代わる代わる鳴いていたと思ったのに。
 日の暮れるのも早くなってきた。ぼやぼやしていると、昼のうちに片づけておきたいことが夕方にずれ込んでしまいかねない。まぁ、それは日照時間が短くなることばかりによるというよりも、単に段取りが悪いせいなのかもしれないけれども。

 「秋の日は釣瓶落とし」と言われるほど、日暮れはすぐにやって来るようになる。夏には「朝顔に釣瓶取られて貰い水」だった。同じ釣瓶でも、秋には朝顔の姿はどこへやら。するすると井戸の底へと落ちて行き水を汲み上げるという、本来の機能に再び目が行くことになる。時の流れがこんなところにも感じられる。
 もっとも、いまは釣瓶のある井戸を見かけることもめっきり少なくなった。それでもなお、こうした言いまわしは残したいものだと思う。昔の人々の暮らしを偲ばせてくれるよすがともなるし、その感性のありかを示してくれるように思えるから。

 昼が短くなれば、その分夜は長くなる。「秋の夜長」。これまたいい言葉を1年ぶりに思い出していい気分に浸る。
 秋の夜長には読書、というのが昔は通り相場だったものだ。が、いまは価値観が多様化している時代。ネットでチャットをしたり、コンピュータゲームに打ち興じたり、ひとりまたは友人知人と杯を傾けたり…。その過ごし方はとっくに各人各様になっているのだろう。

 僕はといえば、普段とさして変わらない夜長を過ごしている。いたって古典的と言おうか、本を読んだりこうして文章を書いたりすることが多い。秋はものを考えるのにも向いているようなので。
 先日TVの天気予報でだったか、本を読むのに都合のいい気温というのがある、といった話をしていた。「ヘェ〜、そんなこともあるのか」と、何かをしながら聞くともなく聞いた。
 それによると、摂氏16度が目安になるそうだ。それ以上の気温だと注意力が散漫になる、というようなことを言っていた。
 なるほど、そうかもしれない。真夏日なんかには本のページを開く気にもなれないものだ。

 「読書の秋」を「灯火親しむ候」とも呼ぶ。これまた風情のある言い方だなぁ。いつ頃から言われるようになったのか、詳しいことは寡聞にして知らない。
 この場合の「灯火」はどんな物を指していたのだろう。ロウソクだろうか、行灯だろうか。何となく静かに炎が燃えているような印象を受けるので、囲炉裏などにくべた薪の炎を頼りにしているようには思えないのだけれど。

 「灯火親しむ候」という言葉からは、部屋にひとり端座し、穏やかな明るさを差し出してくれる灯りを友としながら書を読んでいる昔の人の姿を思い描くことができるような気がする。障子か襖には灯火が映って、柔らかな光となって留まっている。その人のまわりには静謐な時間が流れていることだろう。

 ここまで書いてきてふと思い出した。
 ミハイル・イリーン著『人間の歴史』のなかだったか、それとも別に『灯りの歴史』といったタイトルの本だったか定かではないけれど、ごくシンプルなランプの絵があったように記憶している。小学校の図書館から借りて夢中になって読んだものだ。人類の起源から説き起こしてある興味深い本だった。
 布地を思わせる模様が表紙を覆っていた岩波少年文庫の装丁とともに、そのランプの絵は思い出の一隅を仄かに照らしている。いったいどんな形のランプだったかというと、これまたおぼろげなのだが。

 後に岩波新書を手に取るようになり、その表紙にもランプの絵が描かれているのを見た。蓋のついたランプで、鳥を思わせる生き物が細長い首を自分の背後に向けて曲げ、その尾に当たる部分から立ち上っている炎を眺めているといった風情の絵柄だった。その絵はいまも同新書の表紙を飾っている。
 いずれのランプも、読書の喜びへと僕を照らし導いてくれるかのように思えた。それでいまも懐かしく思い出すのかもしれない。

 燃える火に関して思い出したことがある。
 火を長い間見つめていると、何とはなしに悲しい気分にとらわれた覚えはないだろうか。僕は何度もそうした思いを経験している。
 小中学校の頃、軽井沢のみすず山荘キャンプで夏の日々を過ごす機会があった。学校行事のなかでもずば抜けて楽しいものだった。何しろ、気の合った友人たちと朝から晩までずっと一緒にいて遊べるのだから。

 最大のイヴェントはキャンプファイアーだった。とっぷりと日の暮れた戸外で、井桁に組んだ薪に火が点けられる。火が燃え上がるに従って、そのまわりに集う僕たちの気分も昂揚してゆく。
 いくつもの歌が歌われる。いまでも覚えているのが「燃えろよ 燃えろよ」。どちらかというと物静かな、ちょっぴり寂しささえ漂うメロディーの歌だ。
 燃え盛る炎の勢いもいつかは終息に向かう。まさに「盛者必衰の理」を目の当たりにする。楽しい集いもまたお開きの時を迎えなければならない。

 放物線を描くように移り変わってゆく火の燃え方を見ているうちに、悲しいとしか言いようのない気分が心の奥底に湧き起こってくる。そんな経験を何度もした。
 なぜこうした気分になるのだろう。単なる推論だけを述べれば、それは人間の歴史の気の遠くなるような過去の記憶に連なるような気がする。おそらく火を囲んでいた古代人たちの心のなかにも同じような思いが宿ったのではないだろうか。

 彼らは狩で得た動物の肉や収穫した作物を食べる喜びを火のまわりで分かち合ったに違いない。
 また、共有されたのは喜びだけではないだろう。亡くなった近親者や知り合いへの哀悼の気持ちもまた一同の心をとらえることもあったろう。狩だって好調な時ばかりではない。獲物が取れないという不安もまた彼らを襲ったかもしれない。
 遠い祖先たちの胸によぎったそうした悲喜交々の思いの数々を、僕たちは火を見ながら追体験しているんじゃないだろうか。それが「面白うてやがて悲しき」気分の源にあるように思える。

 こんなとりとめのないことに思いを馳せながら、秋の夜長は過ぎてゆく。

   


   

“耳ざわりな言葉”を耳にした  9月30日(火)晴れ

 

 安倍晋三さんが自由民主党幹事長に任命され、政界は驚き、国民は概ね好意的に受け止めている。
 同党総裁に再選された小泉さん、これまでの幹事長だった山崎拓さんを副総裁に祭り上げたかと思いきや、49歳で清新なイメージの安倍氏を幹事長に起用したのだ。思いも寄らぬ人事と、永田町に巣食う海千山千の議員センセイ方も思ったという。

 何しろ父親は外務大臣まで務めた安倍晋太郎氏だし、祖父は岸信介元首相だ。政治家としての毛並みの良さは抜群と言っていい。しかも背が高く、にこやかなスマイルに颯爽とした身のこなしとくれば、女性たちが放っておくわけがない。
 某TV番組で洩らしたお気に入り銘柄のアイスクリームはバカ売れしていると聞く。きっと、番組を見た奥様・お嬢様方がさっそくそのアイスクリームを買いに走ったことだろう。メーカーにしてみれば、またとないプロモーデョンになって喜んでいるに違いない。

 安倍さん、このところ一段と忙しい日々を送っている。28日の日曜日には午前8時から3本のTV報道番組に出演。その後、近くに迫っている衆議院選挙候補者の応援演説のため長野県に出かけた。
 飯田市勤労者体育センターで話した時、「自民党は改革を実施している実績がある。実績のある外科医のようだ。民主党に任せたら日本が死んでしまうかもしれない」というようなことを言った。

 その前だったか「民主党は“耳ざわりのいい”ことを言うかもしれないけれど」というひと言も付け加えられた。
 それを聞いて「安倍さんともあろう人が」と思ったのは僕ひとりではないんじゃないだろうか。だってその言葉遣い自体が“耳ざわり”だったから。

 そう、言葉の選択と使い方を間違えているからだ。
 「耳ざわり」を漢字で書けば「耳障り」となる。「手触り」「舌触り」「肌触り」などという単語と発音はまったく同じだけれども、意味するところは違う。
 字を見て明らかなように、「耳障り」とは「耳にとって差し障りがある」ということ。「目障り」を「目触り」とは書かないのと同様の表現だ。誰だって「目ざわりのいい眺め」とは言うはずもないだろう。
 安倍さん人気がこれくらいのことで下がることはないかもしれないけれど、こんな“耳ざわり”な物言いには気をつけた方がいいと老婆心ながら思う。

 僕は日本語原理主義者というわけではない。が、無反省な言葉の使い方には違和感を覚えてしまう。フランス語と日本語との間で右往左往する暮らしをしている者としてどうしてもそうなる。

 とはいっても僕自身、学生の頃には自分の言った事柄を「冗談だよ」と軽く否定するつもりで「ウソ、ウソ」と言ったりしていた。が、後にほんとに嘘つきになったみたいな気がするようになってやめたことがある。
 また、「ドチンケ」「ドセンス」のように、何にでも「ド」をつけて語を強調するのを楽しんだこともある。いま思い返して見ると、とある友人の口癖が伝染したもので、それがカッコいいと感じていたのだった。若気の至りという奴だ。
 いまはそうした言い方はしない。人真似をすることが空しく思えるようになったから。

 というわけで、自分自身を振り返って見れば偉そうなことは言えない。
 さはさりながら、「喋れる」「食べれる」「見れる」といった、可能を表わす助動詞「られる」を“ら抜き”で口にすることは憚られるし、聞いていて心地よいとは思わない。そんなのは単に生まれ育った地方の習慣の違いに過ぎないのは頭では分っているつもりだ。それでも、慣れというのは仕方ない。こうした言い方はどうにも僕にはしっくり来ない、としか言いようがない。

 わが家の子供たちも「ら抜き言葉」を連発して何とも思わないようだ。
 “平成の因業ジジイ”をもって任じる僕としては、眉をひそめながら死んでもそんな言葉を口にするもんか、と歯を食いしばっている。彼らに孫ができて「おじいちゃんのくれたシャツ、まだ着れるよ」なんて言われたら、僕はいったいどんな顔をしたらいいんだろう、なんて思いながら。

 言葉が変化してやまないものであることに異議を唱えるつもりはない。自分が習い覚えた言葉遣いだけが正しくて、それ以外は頭から「日本語の乱れ」だと決めつける“原理主義者”ではないことは先にも書いた。
 解散宣言・「正しい日本語を守る会」という、興味深いWebサイトがある。(http://www.kt.rim.or.jp/~sugasawa/word/index.html)そこにこんなことがが書かれている。

 結論から言えば、日本語の乱れ問題に対しては、原則容認で対処すべきだ。そして、言葉の機能を明らかに減じるもの、または曖昧さを多くするものについてのみ、警告を発するべきなのだ。

 これでいいじゃないか、と僕も考える。言葉も習慣も、変わるものは変わってゆく。フランス語でも言う。「時代が変われば風俗も変わる」"Autre temps, autre moeurs"(オートル タン、オートル ムルス)。

 読売新聞夕刊でまた「日本語の現場」という連載が始まった。9月24日に掲載された記事は「アナ言葉に“落とし穴”」。言葉のプロフェッショナルであるはずのTVアナウンサーの言葉遣いにも何だか変なのがあるらしい。
 同新聞だけでなく、NHK総合でも「気になることば」(「お元気ですか日本列島(月)〜(金)16h50から)いうタイトルのコーナーが登場する。

 政治家はまず言葉によって自らのヴィジョンを明確に語るのが仕事だ。その言葉遣いの端々に、国民は自分たちへの気遣いをも読み取ろうとするものだということを忘れないで貰いたい。

   


   

解るような、解らないような   9月29日(月)快晴

 

 大学でフランス文学科に籍を置いていた時分、授業中によく言われた言葉がある。ジェラール・ド・ネルヴァルを専門に研究していらした稲生久先生の口癖だった。「きみたちはひ弱に思えるなぁ。日本がまさかの事態になった時に生き延びることができないんじゃないか」。
 さらに、先生の言葉は続いた。僕たちがひ弱に見えるのはどうやら飢えを知らないからだ、とおっしゃりたかったようだ。先生方の育ち盛りの頃は戦争があり、食べる物に苦労した。それでも何とか食いつないできた。それに比べて、きみたちにはそんなヴァイタリティはないように見える、というわけだ。

 まぁ、それはかなり当たっていたかもしれない。しかし、僕たちが学生だった1970年代にはまだコンビニエンスストアなんかはなかったけれども、日本経済は高度成長期を迎えていたし、差し迫って食料危機が訪れるような気配は感じられなかったのも事実だった。
 飽食の時代はすでに始まっていたと言えるのだろう。カップラーメンやハンバーガーも日常的にあった。フォワグラやキャヴィアみたいな贅沢品でなければ、食べたい物はほとんど手に入るようになっていたのだから。

 『大人にならずに成熟する法』(白幡洋三郎監修 サントリー不易流行研究所編 中央公論新社 2003年)という本を読んだ。「大人になる」ということと「成熟する」ということとがどのように違うんだろう。その点に興味と関心があった。
 本の構成としては白幡洋三郎、鷲田清一、奥野卓司、山極寿一、小長谷有紀各氏がそれぞれの考察を提示。また「人間は本当に成熟したのか―“インターネット”から考える」「社会の進化は成熟か―“花粉症から考える」「社会と個の良い関係とは―“ボランティア”から考える」といったテーマについての座談会が収録されている。

 取り扱っている話題が広すぎるせいか、必ずしもよく解ったとは言い難い。僕としては「成熟すること」と「大人になること」とはかなり重なり合うと思うのだけれども。
 でも難しい問題だなぁ。

 白幡氏は第1回目の座談会の後に「一人で生きられるのが成熟社会?」という文章を書いておられる。
 コンビニに行けば食べ物を手に入れることは容易だ。調理をほとんど必要としない「個食」の素材がたくさん並んでいる。

もし無人島に一人置き去りにされたら、とても生きては行けないような人がちゃんと暮らしてゆける。そこまで社会は成熟していると見ることはできないか。(同書p.70)

 その後に、こうした社会はひとりひとりを駄目にしているのか、それともそれぞれの能力を最大限発揮できるような成熟した社会なのか。そのどちらの見方を取るかによって現代社会への評価が180度異なる、という言葉もある。

 なるほど、そのとおりだと思う。一見、便利なように見える社会ではあるけれど、自分で何とか困難な状況を切り開いてゆく能力が後退しはしないか、という考えも成り立つ。稲生先生が僕たちに言いたかったのもそのことだと思われる。
 でも、そのような能力を養う方法もある。肉屋や魚屋などへ行って材料を買うのもいい。そうして手に入れた食材を自分の手で料理するのを心がけるといったことも役立つだろう。
 早さとか手軽さを諦めて、ちょっと昨日の暮らしに戻る気になればできるはずだ。

 そこまでは解ったこととしよう。
 白幡氏はひとりひとりにとって大人になるなり方が変わってきたことを指摘する。よく言われるように、核家族が増えておじいちゃんやおばあちゃんと同居することが少なくなっている。年寄りの「知恵」を学び、受け継ぐこともまた減少していることにもなる。

 たしかにいまはインターネットなどで簡単に情報にアクセスすることはできる。知識の量だけを比べれば、おじいちゃんよりインターネットの方が多いと言えるだろう。現代は単なる「物識り」だけではあまり意味がなくなってきているのかもしれない。

 そう、一方に細切れの知識がある。それはインターネットでも手に入れられる。
 他方、おじいちゃんが人生を通して得てきた知恵というものはそう簡単に手にすることはできない。それはその人のまなざしや笑顔、物言いといったものとないまぜになって滲み出て来るものだから。

 どんな職業にも専門的な知識は必要だ。なぜここに釘を打たなければならないか。どうしていま塩を入れなければならないのか。それはある程度マニュアル化できるかもしれない。が、マニュアルどおりにするだけで風格ある家が建ったり、うまい料理ができ上がるだろうか。
 そうした知識がひとりの人間のなかで個性と結びついて「知恵」となり、それが発揮されることによって、その人らしい仕事として実を結ぶのだと思える。

 僕たちが成熟した社会に住んでいることは疑えない。それなのに、大人とは思えないような人間がいろんな事件を起こしている。困ったものだ。社会の成熟と個人の成熟とは比例するものじゃないんだろうか。
 やっぱり大人になるってことは解ったようで、解らない。