♪「シャンソンを貴方に…」〜シャンソン情報TV番組オンエアのご案内〜
東京メトロポリタンテレビジョン(MXTV)・群馬テレビ(GTV)において毎回多彩なゲストをお迎えして見ごたえのある30分番組となっています。
[出演]芦野宏/小林力(p)他 [監修]大野修平
   
☆TOKYO MXTV⇒
10月2日(木) 21h00〜21h30 ゲスト:有光雅子
10月16日(木) 21h00〜21h30 再放送
11月6日(木) 21h00〜21h30 ゲスト:深緑夏代
11月20日(木) 21h00〜21h30 再放送
12月4日(木) 21h00〜21h30 2003年総集編
12月18日(木) 21h00〜21h30 再放送
  ☆群馬テレビ⇒
10月8日(水) 22h00〜22h30 ゲスト:有光雅子
10月15日(水) 22h00〜22h30 再放送
11月12日(水) 22h00〜22h30 ゲスト:深緑夏代
11月19日(水) 22h00〜22h30 再放送
12月10日(水) 22h00〜22h30 2003年総集編
12月17日(水) 22h00〜22h30 再放送
この「修平のひとりごと」は、2ヶ月ごとに削除いたしますので、必要な方はご自分で保存してください。(管理人)
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犬も歩けばブキニストに当たる(その2)  10月17日(金)曇り

 

 何かで読んだことがある。かつてパリのブキニストの店先をあちこち覗きこんでいた客のなかには、後にフランス皇帝となったあのナポレオン(1769〜1821)がいた、と。
 また、作家のアナトール・フランス(1844〜1924)もよく河岸に並ぶこの青空古本屋を利用したことも読んだ。彼は『友人の書』(1855年)のなかで、ブキニストをこう賞讃している。「大学教授と同じか、それ以上に私に知的教育を施してくれた」。

 かつてはブキニストの箱のなかにはそれほどいい本が揃っていたということなんだろう。いまはそうでもないようだけれど、先に書いたようにたまには拾い物がないわけではない。
 天気が良い午後、時間さえあればセーヌ河沿いにそぞろ歩いてみるのも悪くない。そう、犬も歩けばブキニストに当たるということだってあるかもしれないから。

 ブキニストの並ぶ一画には、東京・神田神保町の青空古本市みたいな趣がある。雑貨や古着などを売るフリーマーケットとか、植木市などを思い浮かべていただければ雰囲気が伝わるだろう。
 もちろん、買わないで眺めるだけでも文句を言われることはない。いたって気楽にパリの古い地図とか、ロートレックが描いたアリスティード・ブリュアンのポスターの複製などを手に入れることができる。案外ちょっとしたお土産になるかもしれない。

 パリ市内の第1区から第20区まで、地区別に詳しい情報が満載されているサイトに《CAP CITE》(「キャップ・シテ」と読むんだろうな)がある。
 ページがすべて表示されるまでちょいと時間がかかるけれど、タイトルや地図部分のグリーンが目に優しいサイトだ。
 その「第5区 地区の暮らし」"Vie de quartier dans le 5eme"に、ひとりのブキニストについての記事が出ている。アメリー・ネス Amelie Neiss 記者の手になるものだ。

 取材対象はセーヌ左岸、ノートル=ダム聖堂の真向かいにあるトゥルネル・ド・ラ・モンテベロ河岸 Quai Montebello de la Tournelle に4つの箱を並べるイゴール・クロニス Igor Kronis さん。店の前に立ち、いかにも古本屋の親爺然とした白髪頭の貫禄ある姿で写真に納まっている。

 父親はリトアニアのリガ出身で、1920年にパリにやって来た移民だった。イゴールさんはこの界隈で育った。元は輸出入業に携わっていたが、自由を愛するが故にブキニストの仕事を選んだのが23年前のこと。いまの暮らしぶりに満足しているとか。
 イゴールさんは自分で営業時間を決めている。記事によると「冬は昼12時から午後6時まで。夏は夜8時、9時まで働きます」。

 仕入先は競売場が多く、主にドルゥオーだという。
 この会場はバルバラのシャンソン「ドルゥオー」《Drouot》に歌われている。 壊れた古いベッドを売りに出した女性が主人公。そのベッドは1930年代に彼女が過ごした、楽しい愛の思い出と分かちがたく結びついている宝物だった…。
 その女性の切ない心情が胸に迫る名曲だ。日本のシャンソン歌手たちも「貴婦人」という訳詞で歌っている。
 余談だけれど、いまはシャルル・アズナヴールが経営する楽譜出版社ラウル・ブルトンはこの競売場にほど近い街路にある。

 イゴールさんの話は続く。ネス記者に「何かエピソードは」と尋ねられて、フランソワ・ミッテラン前大統領を見かけたというのだ。
 ミッテラン氏はイゴールさんの店からも近いビエーヴル通りに住んでいて、時折そうやって河岸を散歩したそうだ。
 もっとも、トントン(おじさん、という意味。人々は親しみを込めてミッテラン前大統領をこう呼んだ)を見かけたからといって、簡単に近寄ることはできなかったいう。ボディーガードがしっかりと護衛していたからだ。

 「息子も古本業を営んでいますよ」とイゴールさんは語っている。父親とは違って青空の下で商売するのではなく、第6区のジ・ル・クール Git le coeur 通りに、店舗を構えているそうだ。イゴールさんのいる場所から目と鼻の先だ。
 親爺さんが扱うのは哲学、社会学、心理学などの他にラ・ブリュイエール、マリヴォーなどの古い時代の本。息子は18世紀の本を専門に商っているとのこと。同業者ではあっても、父と子それぞれに個性とスタイルを打ち出しているところが面白い。

 パリの空の下にはセーヌが流れ、時間も人々も過ぎて行く。しかし、歴史を通じて変わらない人間の営みが連綿として続けられてもいる。
 流れ行く川の水は一瞬たりとも同じではないことは鴨長明が指摘したとおりだ。それでも、川が流れるという事実そのものは変わらずに続く。
 河岸に本を入れた箱を並べて売るブキニストという仕事もまた引き継がれてゆくのだろう。古都を彩る「生きた詩」としてそうあり続けてほしいと思う。
 掘り出し物に出会えるチャンスを求めてさまよい歩く、僕みたいな“犬”のためにも。

   


   

犬も歩けばブキニストに当たる(その1)  10月16日(木)晴れ

 

 好きなシャンソン・フランセーズの女性歌手はたくさんいる。リュシエンヌ・ドリール Lucienne Delyle の声も好きだ。温かみがあって、ちょっと官能的。スロー・ナンバーではその魅力がさらに際立つ。たとえば彼女のレパートリー「古きパリの岸辺に」《Sur les quais du vieux Paris》などはすんなり耳に入ってくる。

年老いたブキニストたち
美しい花売り娘
あなたたちが好き
生きている詩ですもの

Vieux bouquinistes,
Belle fleuriste,
Comme on vous aime,
Vivant poeme!

 セーヌ河を見下ろす河岸通りのパラペ(parapet:石壁)に古本の詰まった箱を掛けて商売する人たちがいる。ブキニストbouquinistes だ。言うなれば青空古本屋。約4キロほどにわたって両岸に店が並ぶ。
 売っているのは古本ばかりではない。映画のポスター、絵葉書なども扱う。
 "PARIS ON LINE"(http://www.paris-on-line.com/album/fot_20.htm)というWebサイトで写真を見ることができる。

 彼らは一日の仕事を終えて帰る時、濃い緑色の箱のなかに本を残したまま蓋を閉め、鍵をかける。翌日は鍵を開ければすぐ商売を始められるようになっている。
 晴れた日にはセーヌ沿いに並んだ箱が一斉に口を開けて客を待つ。物見高い人たちが三々五々、散策のついでに中身を覗く。
 雨の日にはもちろん休業することになる。蓋が閉まったままの箱が雨に打たれているのを見ると、ちょっぴり寂しい思いに駆られる。

 ブキニストの呼称は英語の「ブック」"book" から来たとも、山羊革の装丁を施したからだろうか「牡山羊」"bouc"(ブーク)に由来するとも言われる。セーヌに架かる橋のなかで最も古いポン・ヌフができて間もなく、17世紀に出現したと伝えられている。

 長い歴史を誇るブキニストにはそれぞれ特色もある。
 右岸。メジスリー河岸には古い写真やマンガを扱う店がある。ジェーヴル河岸には歴史や映画の本が多い。オテル・ド・ヴィル河岸ではSFや推理小説が狙い目。ルーヴル美術館前への出店は禁止されているそうだ。

 左岸。かつてバルバラやジャック・ブレルが出演していた「レクリューズ」の目の前、グラン・ゾーギュスタン河岸にはレコードや葉書、過去の新聞、文学書などを商う店がある。版画などを扱う店があるのはモンテベロ河岸。映画好きや推理小説ファンが集うのはトゥルネル河岸…。

 僕自身の思い出を記そう。初めてパリに行った1973年冬のこと。二十歳の大学生だった。どこだったかははっきり覚えていないのだけれど、左岸の橋のたもとにある店だったように思う。
 興味をそそられて箱に近づいてみた。と、年老いた店主が声をかけてきた。「日本の本がありますよ」。差し出された本を見ると『修学院離宮』とあった。創元選書のなかの1巻だ。1万キロ離れた異国で目にする日本語の本。少し不思議な感じがした。
 「日本って中国の一地方でしょ」。その親爺さん、トンチンカンなことを言う。たどたどしいフランス語でそうじゃない、と説明した。果たして理解してくれたかどうか。

 その後、「ちょっとここにいてください」と言い置いて、親爺さんは店を離れた。灰色の雲が重く垂れ込め、寒風吹きすさぶ2月のこと、どうやら用足しに行ったらしい。それにしても、初めて会った日本人の若者にこんなに簡単に心を許していいんだろうか。
 親爺さんはまるでそんなことは気にしない様子で戻って来た。フランス人って面白いな、と思った瞬間だ。

 もうひとつは1999年のこと。
 TV朝日でエディット・ピアフの番組を作るのでパリに滞在していた。その日は早く仕事が終わり、スタッフは別の場所に移動。
僕には自由な時間ができた。それで左岸のブキニストを冷やかしながら歩くことにした。

 ある箱のなかにシャンソン・フランセーズ関係の本を見つけた。作詞家のパスカル・スヴランが書いた『フランスのミュージックホール マイヨルからジュリアン・クレールまで』《Le Music-Hall francais De Mayol a Julien Clerc》(ed.Olivier Orban 1978)。
 10年後に『シャンソン・フランセーズ事典』《Le Dictionnaire de la chanson francaise》として生まれ変わる本だが、前者にもいい写真などが入っていて捨てがたい。

 まだユーロに切り替わる前で、50フランの値がついていた。日本円にして約1000円。すぐに買おうと決めた。いい本が見つかって嬉しくなり、支払いの時、店の親爺に「この本、探してたんですよ」と言った。親爺すかさず言葉を返す。「じゃ100フラン」。首を左右に振りながら僕が差し出したのは50フラン札だけだったのは言うまでもない。
 ブキニストとのこうしたやり取りも楽しみのうちだ。

 インターネットの迷路をそぞろ歩いているうちに、現役ブキニストのインタヴュー記事に出会った。明日紹介したい。

   


   

廃盤にも敗者復活のチャンスが  10月15日(木)晴れ

 

 音楽を聴くメディアとしていまやコンパクト・ディスクはごく当たり前の存在となった。ソニーとフィリップスの2社の共同開発によってこの技術が世に出たのは1982年のこと。CDが僕たちの生活に溶け込んでもう20年経つことになる。

 初めてCDを聴いた時のことを思い出す。
 旧ソ連大使館や渡辺音楽出版にほど近い麻布狸穴にあった、ロンドンレコードというレコード会社のオフィスでのことだった。かつて東芝EMIでビートルズを初めて売り出すのに成功した高嶋弘之さんが副社長を務めておられた。この方、俳優・高島忠男さんのご実弟。
 ポリドール系列のバークレーレーベルなどのLPが同社からリリースされていた。シャルル・アズナヴールの当時の新作やベストアルバムなど、折に触れて僕も対訳やライナーノーツ執筆などの仕事を貰ったものだ。

 ある日、高嶋さんが「おい、これがコンパクト・ディスクだぞ」と出来たてのほやほやを持っていらしたところに出くわした。ディレクターのWさんや居合わせた人たちと耳を傾けた。
 クラシックの楽曲がスピーカーから流れてきた。圧倒的な音量。分厚い音の塊に押し流されそうな勢いを感じた。LPとは違った力強さに思えた。その時の僕には「これからはこれが主流になるんだ」という高嶋さんの話がまだよく理解できなかった。が、業界の流れは見る見るうちにその言葉のとおりになっていった。
レコード針メーカーが廃業する、なんていう事態も起こった。

 アナログレコードに親しみを覚えながらも、時代の趨勢に逆らっていてはこちとらも商売にならない。レコードプレイヤーを仕舞い込んでCDプレイヤーを買う。
 LPのサイズは30センチ。同梱の歌詞カードも大きかった。対するCDは12センチ。アルバム・ジャケットのインパクトもぐっと弱く感じられた。なかに入っている歌詞カードもまた小さくなった。印刷される文字もぐっと細かくなって読みづらいな、と初めは思った。
 が、それも慣れの問題。いまではとっくに「そんなものさ」と割り切ることができるようになってしまった。

 CD全盛の世のなかだ。レコード屋さんとか、レコードショップと呼んでいた小売店もいまやCDショップと呼ばれるようになった。
 しかし、CD会社とは言わない。相変わらずレコード会社と称する。「レコード」という語の方が歴史的な役割を担っているからだろうか。面白いものだなぁ。

 ところでCDは売れているんだろうか。関係者のはしくれとしてはいつも気になるところ。
 国際レコード産業連盟(IFPI:http://www.ifpi.org/site-content/press/20031001.html)が10月1日に発表したデータがある。世界70カ国、1500を超えるレコード会社が参加する同連盟の報告もよると、2003年上半期の世界での音楽関連のCD、DVD、インターネット配信サービスなどの販売状況が前年同期比10.9%減の127億ドル(約1兆4,100億円)相当になった、とある。
 どうもCDの売上げは芳しくないらしい。

 伸びているのは音楽DVDの売上高で、前年同期比で55%増だそうだ。CDに比べて単価が高いのに売れているというのだから、これから期待できる分野なのかもしれない。

 オンラインで合法的に流通している30万トラックに及ぶ音楽配信サーヴィスの普及も指摘されている。
 違法なファイル交換など海賊行為の影響に対して、同連盟は一貫して厳しい態度を示す。こうした行為が売上げ減につながるとの判断からだ。

 レコード会社も黙って違法コピーを許しているわけではない。コピー防止とかコピーガードという技術を導入したCD(CCCD)を発売して対抗手段を取っている。
 フランスを例にとれば、2002年にリリースされ、いまや200万枚を超えたセールスを記録したというパトリック・ブリュエル Patrick Bruel の 《Entre-deux》がある。1930年代、40年代のシャンソン・フランセーズの名曲を集めたこのアルバムをパソコンで再生しようとすると、まずユーザー登録するように指示が出る。登録しない限り、通常のプレイヤーでしか聴くことができない。
 また、10月10日の本欄でちょっと紹介したアンリ・サルヴァドール Henri Salvador の新譜にもコピーガードがかかっている。

 ヨーロッパや日本ではそうしたCDは多くなっている。アメリカは消費者の反対が激しくこれまで見送られてきたが、BMG(先に挙げたブリュエルの発売元)はいよいよコピー防止措置を施したCDを発売することにした、と報じられた。
 音楽の作者、アーティスト、ミュージシャン、レコード会社などの権利者たちの利益を考えればやむを得ないところだろう。

 今年上半期に売れたCDとしてセリーヌ・ディオンの《One Heart》、ノラ・ジョーンズの《Come Away With Me》、タトゥーの《200kmh In The Wrong Lane》などを先のIFPI報告では挙げている。

 売れないCDは廃盤の憂き目に遭うことになる。これはLPの時代から変わらぬ現実。僕もこれまで仕事で関わったLPやCDがショップの棚からのみならず、レコード会社のカタログからも姿を消す、という事態に何度も出会っている。悲しいけれども仕方ない。廃盤にしないためにも、みなさんCDをお買い上げくださいね。

 それはともかく、廃盤にも敗者復活のチャンスがあるのをご存知でしょうか。
 社団法人日本レコード協会加盟メーカー24社主催による「レコードファン感謝祭2003 廃盤CD大ディスカウントフェア」(http://fair.jmd.ne.jp/)が、11月6日(木)から11月19日(火)まで開催される。インターネットを利用して買うことができるから便利。「最大70%OFF」だそうだ。
 廃盤だけでなく、輸入盤や時限再販期間経過商品の割引き販売もあるというから、買いそびれたあの1枚に出会えるかもしれない。

 ただし、事前にユーザー登録が必要。10月21日(火)から上記サイトで受付が開始される。
この催しについての問合せは運営主体の株式会社ジャパンミュージックデータまでメールで。(アドレス:fair@jmd.ne.jp)

 廃盤に光を、といった企画だなぁ。僕がかつて携わったシャンソン・フランセーズのCDを見かけたら、ぜひお買い求めくださいね。

 なお、CDの著作権などについての分りやすい解説が以下のサイトにあります。Save our music http://www.sme.co.jp/savemusic

   


   

滅びゆく者あれば…  10月14日(火)雨

 

 衆議院の解散を受けて、永田町の住人たちは総選挙に向けてひた走り始めている。二大政党制への道筋がつけられるものかどうか、といった点でも注目の選挙になりそうだ。

 自由民主党総裁選で小泉純一郎現首相が再選され、内閣の顔ぶれが入れ替わった。
 石原伸晃国土交通大臣はさっそく、前任者がやり残したことに着手した。藤井治芳・日本道路公団総裁から財務諸表の不備など経営についての矛盾点を聞き、辞任を求めた。
 ところがどっこい、藤井氏は簡単に首を縦に振らない。土壇場でゴネている。総裁の椅子というのはよほど座り心地がいいと見える。

 同公団のサイト(http://www.jhnet.go.jp/)の「基本理念」にはこうある。「国民の負託に応える、健全な経営に努めます」「積極的に情報公開を進め、説明責任を果たします」。
 藤井サン、理念と現実とのあまりの食い違いをどう説明してくれるんでしょうかね。もうおやめになったらいかが。

 自民党は比例代表候補者をめぐって難問を抱えている。73歳定年制という原則があるのだけれど、それをよしとしない長老が二人、次期選挙に名乗りを挙げているのだ。中曽根康弘、宮澤喜一の両氏。どちらも総理大臣経験者ということもあって、軽々に扱うわけにはいかない。
 こちらも理念と現実との狭間で小泉首相や安倍晋三自民党幹事長たちが頭を悩ませている。

 それぞれ地元の有権者たちの期待を背景にしているのだろう。ところが、二人とも80歳を過ぎている。どちらも健康に自信があるとはいえ、政治は未来を語り、創り出してゆくもの。ご老体にはちと荷が重過ぎよう。他の候補にチャンスを譲った方が“大人の政党”の面目を保つことができるように思えるのだが。

 出処進退は難しい。とりわけ「退」は難しいと言われる。「もう少し続けて」と周囲から引き止められているうちが花なのだろう。
 その点、スポーツ選手は決断が早いようだ。貴花田に負けて行なった元横綱・千代乃富士の引退会見の言葉はいまも耳に残っている。「体力の限界」。まだやれそうに見えたけれど、土俵を去った。潔い、との印象が強い。
 永田町や霞ヶ関の住人の方々は「能力の限界」を感じることはないのだろうか。

 衆議院が解散したその同じ日、ひっそりと姿を消した動物がいる。
 日本原産のトキ「キン」だ。これで日本原産種は絶滅してしまったことになる。このニュースを聞いて悲しい気持ちになった。「キン」は雌で、推定年齢36歳。人間に当てはめると100歳を超しているのだそうだ。
 死亡したのは10日午前7時20分頃、佐渡トキ保護センターでのことと新聞やTVなどで発表された。

 同センターのWebサイト(http://www4.ocn.ne.jp/~ibis/ 〒952-0101 新潟県佐渡郡新穂村大字長畝337番地4)を開いてみた。さらに詳しい情報が出ていないかと思ったので。
 ところが。トップページには「キンの様子[03.09.19]・日差しの良い日は日光浴しています」との記述と、9月11日に撮影された写真が載っていて、死亡に関する記事は見当たらない。(10月14日現在も)
 「キン」の死という急な出来事のため、サイトの更新にまで手がまわらないのかもしれない。
 でもこれはこれでいいとも思う。「キン」の元気な姿を、写真でだけでもいつまでも見ていたいから。

 佐渡トキ保護センターには中国からやって来たトキがいて繁殖にも成功している。日本産と中国産とは同じ種類に分類され、区別する必要はないそうだ。センターのサイトには「私たちが増やし、保護したいのはトキという種類の鳥であって、「日本産のトキ」ではありません」という記述もある。
 最後の日本原産種だった「キン」がいなくなったからといって、トキ全部が地球上から消えてしまったわけではない。残されているトキたちが今後も元気で増え続けてくれることを祈りたい。

 トキの学名は「ニッポニア ニッポン」"Nipponia nippon"。まさに日本を代表する名前を持った鳥だ。いい響きだと思う。
 蛙や昆虫などを食べるトキは水田を荒らすということで、明治時代頃から農民に嫌われ、退治されるようになった。昭和に入ってからは環境の悪化で棲む場所も限られ、ますます数を減らしていった。こうして1981年2月以降、日本の空を自由に飛ぶ野生のトキはいなくなったのだった。

 人間のエゴがトキを追い詰めた格好だ。こうした動物が棲めないような環境になってしまったら、人間の繁栄も何もあったものではない。やがては自分の首を絞めることになるのは目に見えている。だから、やめにしたい。これ以上地球を傷つけるのは。

 古くはツキ・トウ・ダオなどと呼ばれていたというトキに、昔から日本人は桃花鳥・紅鶴・鴇・朱鷺などの漢字を当ててきた。羽の色や鳴き声、習性などに由来するという。
 桃花鳥は「日本書紀」に見られるそうだ。身体の色からつけられたものだろう。淡い赤を「朱鷺色」と言い表わしたのも美しい色彩感覚だ。

 「古今和歌集」には「いなおほせどり」(稲負鳥)という鳥の名前が出てくる歌が二首ある。この鳥をトキだとする説がある。

わが門にいなおほせどりのなくなべにけさ吹く風に雁はきにけり
 読み人しらず(巻第四 秋歌上)
 (西下經一校註 日本古典全書「古今和歌集」p.76 朝日新聞社 1972年)

山田もる秋のかりいほにおくつゆはいなおほせ鳥の涙なりけり
 忠岑(巻第五 秋歌下)(同書p.90)

 ところが藤原定家などは「いなおほせどり」をセキレイだと言い、本居宣長はニュウナイスズメだと主張しているというから定説はないようだ。
 でも、後者など田んぼに関係する鳥ということで、トキをイメージすることもできると思う。

 カラスばかりが都会でも幅を利かす世のなかになってしまった。滅んでいった美しい鳥の面影を心に抱きつつ、僕たちにとって大切なものは何かをとくと考えたい。