♪「シャンソンを貴方に…」〜シャンソン情報TV番組オンエアのご案内〜
東京メトロポリタンテレビジョン(MXTV)・群馬テレビ(GTV)において毎回多彩なゲストをお迎えして見ごたえのある30分番組となっています。
[出演]芦野宏/小林力(p)他 [監修]大野修平
   
☆TOKYO MXTV⇒
10月2日(木) 21h00〜21h30 ゲスト:有光雅子
10月16日(木) 21h00〜21h30 再放送
11月6日(木) 21h00〜21h30 ゲスト:深緑夏代
11月20日(木) 21h00〜21h30 再放送
12月4日(木) 21h00〜21h30 2003年総集編
12月18日(木) 21h00〜21h30 再放送
  ☆群馬テレビ⇒
10月8日(水) 22h00〜22h30 ゲスト:有光雅子
10月15日(水) 22h00〜22h30 再放送
11月12日(水) 22h00〜22h30 ゲスト:深緑夏代
11月19日(水) 22h00〜22h30 再放送
12月10日(水) 22h00〜22h30 2003年総集編
12月17日(水) 22h00〜22h30 再放送
この「修平のひとりごと」は、2ヶ月ごとに削除いたしますので、必要な方はご自分で保存してください。(管理人)
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漢字の面白さを伝えよう  11月7日(金)曇り

 

 文化の日は過ぎたけれど、文化に関わる話題が報じられた。
 新聞各紙によれば、文部科学相の諮問機関である文化審議会の国語分科会が5日、興味深い報告書案を出したという。小学校卒業までに常用漢字として定められている1945字の大半を読めるようにする、という趣旨だそうだ。そのためには国語の授業時間数を増やすことも提言されたそうだ。
 いいことだと思う。

 当たり前のことだけれど、日本人が日本語をおろそかにしてはいけない。
 ちょいと考えてみれば分ることをひとつ。算数の問題だって日本語で書かれている。何を問うているのかが理解できなければ、答の出しようもない。ことほどさように、国語力が伴わなければ算数の問題も解くことはできないのだ。

 僕たちが小学生の時分には、もっぱら当用漢字というのを習った。「書き順」などと砕いて呼んでいたものだけれど、先生方はひとつひとつの漢字の筆順にも気を配って教えてくれた。学ぶうちに、筆順というのは漢字を書く上でなるほど理に適っているなぁ、と納得がいくようになった。
 初めのうちは面倒臭く感じても、筆順に従っていけば漢字が書けるようになることが楽しくなる。そんなことからも、子供たちに漢字の面白さを伝えたい。

 いまはパソコンのおかげで、自分の手では書けもしないような難しい漢字さえも、変換キーさえ押せばディスプレイ上に出現させることができる。これがいいんだか、悪いんだか。
 幼いうちはやはり、手で文字を書く練習をするべきだと僕は信じて疑わない。

 1981年(昭和56年)、その当用漢字に95字を加えて常用漢字となった。
 どこをどう変えるかなんてことは所詮、役所の決めること。この字は使っていいけど、こっちの字はいけませんなんていう決め事に、いったいどんな根拠があるのやら。
 おいらはおいらの書きたい漢字を書くぜ、という姿勢を押し通して今日まで来た。受けた教育に誇りを持っているから、使い慣れた漢字をそうおいそれと変える気にはなれるもんじゃない。

 報道された国語分科会の提案というのを見てみたいと思い立って、文化庁のサイト(http://www.bunka.go.jp/index.html)へ飛んだ。
 トップページから文化審議会→国語分科会とたどる。が、目指す「報告書案」が見当たらない。まだサイトにアップするほど内容が固まっていない、ということなんだろうか。それとも、新聞に発表したからそれで事足れりなの?。

 小学6年生までに1945字の大半が読めるようにする、という国語分科会の提案は、子供たちにとって荷が重いだろうか。それはよく分らない。が、漢字を覚えるって楽しいことだ、という指導ができればいいんじゃないかな。
 同じく提案に盛り込まれている、ルビ=振り仮名の採用をもっと推し進めるのも手だ。分りやすく、という配慮からだとは察するけれど、新聞などからルビが遠ざけられる傾向がずっと見られた。

 難しい漢字はなるべく避けようということになって現われたのが交ぜ書きだ。「心配」を「心ぱい」、「骨折」を「こっ折」、「成長」を「せい長」などと教科書では書くようだ。笑ってしまい、やがて物悲しい思いにとらわれる。何だこりゃ、いったい?
 まぁ、新聞もついこの間まで「ら致」(拉致)、「は握」(把握)なんて、判じ物みたいな書き方をしていたからなぁ…。
 積極的にルビを振ることで、漢字の読みやすさがぐんと増すのは間違いない。僕自身、そのおかげでいちいち辞書を引く手間が省け、貪欲に漢字を覚えていったのだから。

 谷川俊太郎、斎藤次郎、佐藤学の三氏が語り合っている本『こんな教科書あり? 国語と社会科の教科書を読む』(岩波書店 1998年版)には、示唆に富む話がいろいろ出ている。
 このなかの「漢字の学習」という項に、佐藤さんが興味深いエピソードを語っておられる。

 同氏の友人にクロカワさんという先生がいた。1年生を受け持っていたクロカワ先生に、子供たちが暑中見舞いを出したい、とうことになった。先生も返事を書くよ、という約束をする。で、「黒川先生」と書きたくなった子供たちは、何とかその漢字を覚えた。親にでも尋ねたのだろう。黒という字を学校で習っていなくたって、書きたいと思えば子供は懸命に覚えようとするものなのだ。
 そこで、佐藤氏はこう述べる。

 画数の小さい字からやっていくよりは、むしろ生活のところからはじめていけばいいし、自分の住んでいる町の名前を覚えるというのでもいい。むずかしい字の町の子はたいへんだけど。字を覚えたり、言葉を覚えたりするということは、そういうものでしょ。(同書 p.102)

 そいういうものだ、と僕も考える。その気になり、必要を感じさえすれば、子供は大人が驚くほどの力を発揮して物事を吸収してしまうのだ。これは何も漢字に限ったことではない。

 「漢字って面白いなぁ」と、子供たちに思わせること。彼らの興味を惹くのに、ひとつの漢字がどのように成り立ってきたかを話して聞かせるのも、時にはいいかもしれない。

 たとえば「人」という漢字。寺の坊さんなどの説教によくありがちなのは、この字を真んなかから分解してその意味を語るやり方。「人という字は互いに支えあい、寄り添っている姿を表わしています」などとやる。「だから、人はひとりでは生きていけません。他の人の助けを借りたり、助けたりして生きてゆくのです」と続いたりする。

 ところが、「この解釈は間違いだ」と志田唯文さんは書く。
 その著『漢字ってもともと、そういう意味だったのか―漢字のルーツを探る』(角川oneテーマ21 2001年)には、読んで楽しい、知ったら喋りたくなるような話がたくさん載っている。

 志田さんの説明によると、牛の骨などに刻まれた甲骨文という文字では「人」という字はいまのような形をしていないそうだ。「人が前屈みに立った姿をその側面から見たもの」(p.21)だという。本には実例の図版が出ている。なるほど、言われるとおりだ。

 先の坊さんの言っていることはもっともなだけに説得力があるのだけれど、ちゃんとしたことを知ると、何だか得したような気分にならないだろうか。
 そうした知る喜びを与えながら、子供たちに漢字の面白さを語り伝えていくことって、とても大切なんじゃないだろうか。

   


   

草月ホールでバルバラを偲ぶ  11月6日(木)雨

 

 赤坂にある草月ホールを久しぶりに訪れた。
 ホールができてしばらくの間、シャンソン関係のコンサートやリサイタルがよく開かれたものだった。
 1980年、「パリのお嬢さん」のヒットで知られるジャクリーヌ・フランソワがここでリサイタルを行なった。この気難しい女性歌手の通訳を務めるのはずいぶんと骨が折れたっけ。二十代後半の僕にとっては、いい修行にはなったけれど。

 400名ちょっと収容の、瀟洒な造りの会場の魅力はいまも失せていない。
 コラ・ヴォケール、アンナ・プリュクナルの歌声もここで聴いた。いずれも1980年代のこと。コラが醸し出すヴェテランの味わい、アンナの命をかけた力強い主張。アーティストたちの発するオーラが客席を満たしたのを昨日のことのように思い出す。

 昨夜も印象深い催しがあった。
 「バルバラ没七年メモリーコンサート」。"Commemoration du 7eme anniversaire de la mort de Barbara"。日本流に言えば「7周忌」に当たるコンサートだ。
 バルバラのシャンソンをこよなく愛し、作品を日本語に訳して歌っている千葉美月さんの企画・構成・演出によるもの。このコンサートで歌われた訳詞もそうだ。
 千葉さんは赤坂で「ミュージックサロン バルバラ」を経営している。そこで歌っている歌手たちが、昨夜のステージで歌った。

 どの歌手からも並々ならぬ意気込みが感じられた。限られた持ち時間を目いっぱい使い、全身でバルバラへの思いを表現しようとしているようだ。これまで日本ではあまり取り上げられることのなかった曲が選ばれている点にもそうした意欲がうかがえる。素晴らしいことだ。

 パリに本部のある非営利団体・バルバラ友の会 Les Amis de Barbara (http://lesamisdebarbara.free.fr/)の名誉会員でもある千葉美月さんが、思いの丈をこめて歌う「バルバラ鎮魂歌」から、第1部が始まる。演奏は山下淳トリオ。(以下、歌手の敬称を略して書く。)

 続けて、あみが歌う「あなたに捧げるカンタータ」《Une petite cantate》、「ゲッティンゲン」《Goettingen》。
 杉村美恵は「脱帽」《Chapeau bas》と「ムッシュ・カポネ」《Monsieur Capone》を披露。

 山森義之・福島順子は「ブリュネットのレディ」《La dame brune》で、バルバラとジョルジュ・ムスタキのデュエットを再現した。終わって山森がステージに残り、歌ったのは「私の仲間たち」《Mes hommes》。男性歌手は彼ひとりだった。バルバラのレパートリーを男性が歌うのは難しい面があるのかもしれない。

 上月美智子は「口先だけで」《Du bout des levres》、「私の幼いころ」《Mon enfance》。どちらも1968年発表のバルバラのアルバム「黒い太陽」《Le soleil noir》に収録されたシャンソンだ。

 「不慣れな農夫」《L'enfant laboureur》と「タンゴ・インディゴ」《Tango Indigo》を青木Fukiがエネルギッシュに客席に歌いかけた。後者は1985年、大ホールゼニットで上演されたミュージカル『リリー・パッシオン』《Lily Passion》のライヴ・アルバム中の曲。

 第1部のトリは友部裕子。「夜間飛行」《Vol de nuit》は、モガドール劇場ライヴに収められた1990年の作品。
 そして、バルバラがずっと大切に歌い続けた「我が最高の愛の物語」《Ma plus belle histoire d'amour》。この歌のなかでバルバラが「あなたたち」と呼びかけているのは、変わらぬ支持を寄せてくれている観客たちのことだった。

 米田まりがピアノを弾きながら歌う「愛してると言えなくて」《Je ne sais pas dire》から第2部が始まった。バンドが入り、ステージ中央に立って米田は続けて「ペルランパンパン」《Perlimpinpin》を歌った。

 中村扶実が歌う「リオン駅」も、他のヴァージョンの訳詞「リヨン駅」と違うので新鮮な感じだった。もう1曲、重いテーマを扱った「エイズに死す」《Sid'amour a mort 》。バルバラはこのシャンソンを常にライヴで歌っていた。

 再び山森義之・福島順子のデュエットによる「いつか戻り来る人」《La ligne droite》。ムスタキもレパートリーに入れてレコーディングしている曲だ。
 続いて第1部とは反対のパターンで福島がステージに残り、「ウィーンにて」《Vienne》を歌う。

 これまた『リリー・パッシオン』に収録された「撃たないで」《Tire pas》。歌ったのは菅原佐知子。戦争への抗議の思いを示し、真っ赤な照明ともども強い印象を残す。

 星聖姫が2曲。20歳の青年との危うい関係を仄めかす「美しい時代」《Le bel age》。そして、1978年のオランピア劇場公演で発表された「ラ・ミュージック」《La musique》。

 中山エミが続く。「坊やは」《Cet enfant-la》と、バルバラの名声を大いに高めることになった「黒い鷲」《L'aigle noir》。後者もこれまで日本人歌手が歌っていた訳詞との違いが際立っていた。

 ラストに登場したのは西原啓子。パリ、ドゥルオーの競売場で思い出の品を売りに出す老婦人を描いた「競売」《Drouot》からしみじみと歌い出した。
 締めくくりは「秋になります」。《Il automne》。この曲も78年のオランピア・ライヴに収録されている。フランス語にはこのタイトルに見られるような言い方はない。しかし、バルバラはこの新造語を通して彼女がとらえた秋の訪れを表現したかったのだろう。
 千葉訳詞が手元にないので、原詞の拙訳を掲げる。

秋になる、ひそかな足音で
秋になる、足音を忍ばせて
秋になる、乾いた足音を立てて
緋色と黄金色に彩られたの空の下で

Il automne, a pas furtifs
Il automne a pas feutres
Il automne a pas craquants
Sous un ciel pourpre

 時あたかも秋が深まり行く頃。観客の誰の心にもしみ込んでいったことだろう。

 これまで紹介されていなかったバルバラのレパートリーが聴けたのは収穫だ。また、ステージ進行に目を移せば、歌手出と入りのタイミングもよかったと思う。これだけの歌手が登場する場合、次の人へのバトンタッチが流れがスムーズでないと、もたついた感じが目だってしまう。昨夜はその心配はなかった。

 伝え聞くところによると、歌手たちにとっても真新しい曲を覚えるのはちょっと大変だったらしい。でも、その甲斐はあった。ただバルバラのレパートリーを並べました、といったコンサートととは明らかに違う熱が、どの歌手からも感じられたからだ。

 バルバラが亡くなったのは、1997年11月24日午後4時10分。
 あれから6年の歳月が過ぎた。しかし、彼女のシャンソンの精神は、ここ極東の国でもいまなおその生命の輝きを失ってはいない。

 いい気分で外に出た。雨が降り出していた。天国のバルバラも喜んでいるんだろうな、と思いながら青山通りを下って行った。

   


   

先延ばしの魔は否定形でやって来る  11月4日(水)曇り

 

 中学校のチャプレンに竹田鐡先生という方がおられた。学校付きの牧師さんだ。礼拝の時にはいつも司式者として祭壇の前に立たれていた。
 小柄だが、肉づきのよい身体をしていらして、髪は真っ白だった。はっきりと年齢を存じ上げなかったけれど、中学生の目にはかなりのお爺さんに映った。温厚な物腰で、代々「竹田ファーザー」という呼び名で悪童たちからも慕われていた。

 竹田ファーザーは、小耳に挟んだちょっとした心に残る話を書き留めておられたようだ。仕事柄、礼拝の最中に説教をされる。そうした折に、かねてからメモしておいた話題を織り込んでお話しになるのだった。

 中学に隣接した大学の敷地内にレンガ造りのチャペルがある。活動報告などをまとめた「チャペル・ニュース」という冊子が僕たちに配られた。
 難しい事柄がいろいろと掲載されているなかで、竹田ファーザーの連載コラムがユーモアに溢れていて読みやすかった。タイトルを「鐡神父雑話」といったと記憶している。小話のような、短文のエッセイだ。

 残念ながら、そのほとんどを忘れてしまった。
 それでも二つだけ、いまでも概略だけを覚えている話がある。というのも、ファーザーのその連載をまとめられた本を読んだからだ。文庫版で『話の手帖』という題名だった。
 その二つの話はページを開けて初めの方に出ていたので、印象に残ったのだと思う。その本もいまは手元にないから、確かめようもないけれども。何と言う不肖の生徒だろうか。

 ひとつは古代ギリシアの話。
 とある彫刻家が建物の最上部まで登って、一所懸命に像を刻んでいた。下から声がする。「おーい、そんな見えない所を丁寧に彫らなくたっていいじゃないか」。その彫刻家はすかさず答えた。「いいや、神さまが見てござる」。
 人間はとかく手を抜きたがるもの。でも、うわべだけを適当に取り繕うだけで果たしていいんだろうか、ということを考えさせられる。

 もうひとつは「悪魔の誘いは否定形でやって来る」というもの。
 「ちょいとお兄さぁん、寄ってかない?」てな例があるな。カッコのなかはお好きなフレーズに差し替えていただいて結構。要するに、最後が「〜ない?」と終われば、誘いの文句になる。

 そこで竹田ファーザーは聖職者らしく、旧約聖書冒頭に収められた『創世記』のなかの有名なエピソードに触れる。
 その記述によれば、天地創造の時に神はまず男のアダムを作り、後にエヴァ(イヴ)という女を作ったとある。二人はエデンの園で何不自由なく裸で暮らしていた。何を取って食べてもよかったけれど、ただひとつだけ、その楽園のなかほどに生えている木の実を食べることだけは神から固く禁じられていた。

 が、ある日、蛇のそそのかしに乗せられ、ついにエヴァはその実を口にする。初めは拒んでいたアダムも、彼女の勧めに従ってその禁断の果実を食べてしまう。その結果はご存知のとおり。神の怒りを受け、二人はエデンの園を追放されてしまう。これが「失楽園」である。

 竹田ファーザーはそこで自説を述べておられる。
 神に背く、人類初の罪を犯すことをアダムに迫るエヴァはきっと「ねぇ、この実を食べてみないこと? おいしいわよ」とか何とか、きっと否定形で誘いかけたのではなかろうか、と。
 いや、その前があるだろう。悪魔の化身である蛇もまた、エヴァをそそのかす際に否定形を使ったと思われる。「エヴァよ、なぜ神を恐れるのか。このうまい実を食べてみないか」てな具合に。

 もちろん、人に何かを誘いかける行為それ自体が悪いというわけではない。ただ、良からぬ誘いをする時には否定形の表現が用いられることがあるのは事実。特に男は女からのそうした囁きに弱いんじゃないだろうか。違いますか、ねぇ、ご同輩?。(と、これまた否定形だなぁ)
 僕の場合、時折、自分のなかの怠け心という“悪魔”が囁きかけてくる。こいつに抵抗するのはなかなか容易なことではない。奴もまた、否定形で迫ってくるみたいだから。

 『悪の華』の詩人、シャルル・ボードレールは詩や小説、批評などの作品のほか、実に多くの手紙を残している。19世紀フランスにはインターネットも電話もなかったから、人と人とのコミュニケーションはもっぱら手紙によった。20世紀に入ってからもそれは長く続いたことは誰もが覚えていることだろう。

 1冊当たり平均約400ページで6巻に及ぶ手紙が、ボードレール全集に収められている。卒論を書くための資料として、アルバイト代をつぎ込んで6巻すべてを買った。新宿・紀伊國屋書店の洋書コーナーで予約した。1カ月ほどしてから入荷の知らせを受け、取りに行った。昂揚した気分で6冊を持ち帰ったっけ。

 当然のことながら、手紙には詩人の人となりがストレートに表われている。実に人間臭い側面をうかがえるのが興味深い。
 母親に宛てられている手紙が多く、お金の無心をしているものが目立つ。作品からだけでは想像もつかない、こんな姿を垣間見ることができるのが書簡集を拾い読みする楽しさでもある。

 何度か書いているように、今日しなければならない事柄を明日に延ばしてしまう、そんな悪い癖が僕にはある。ボードレールの手紙を読むと、彼もまた同じ癖に悩んでいたことが分る。そんな点に親しみを覚えたからボードレールが好きになったとも言えるかな。
 彼の精神に忍びこんで来る悪魔について、彼は母親のオーピック夫人にこう書き送っている。手紙の日付は、1858年2月19日金曜日。

なぜあらゆることを忘れて一日休みを取らないのか。急を要するすべての事柄は今夜、ひと息に片づけてしまおう。

Pourquoi ne pas me reposer une journee dans l'oubli de toutes choses? Je le ferai cette nuit, et d'un seule coup, teutes les choses urgentes.
(OEuvre complete de Charles Baudelaire《Correspondance generale》tome 2, p.127 ed.Louis Conard, 1917)

 夜が来る。ところが後送りした事柄に重圧に押しつぶされそうになり、一向に片づけることができなくなる、と続けて告白している。さらにそれが翌朝にも繰り返される、とも。

 鏡に映った自分の姿を見る思いがする。初めて読んだ時にはあのボードレールがねぇ、というちょっとした驚きがあった。やがて、親しみを感じるようになった。「ボードレール、あなたもか」。

 それはともかく、上に掲げたボードレールの文章にも、否定形による悪魔の囁きが記録されている。甘美な誘いはやはり否定形と仲がいいらしい。
 この「否定形の魔」を彼がどのように克服したかという記述にはお目にかかっていない。とはいえ、彼はそれに成功したからこそ、僕たちはその作品を読むことができるわけだ。

 でも、いったいどうやって先延ばしを追い払えばいいんだろう。
 そこで、こんな時に役に立つんじゃないかなと思って、先日「神田古本まつり」で買った本の出番だ。
 『今日の先のばしは明日の憂鬱』。中身をずばり言い表わした傑作な訳だ。ところがこの本、380ページもある。まともに頭から読んでいたら、ますますやるべき仕事を先延ばしすることになりそうだ。
 原著者の名前はリン・ライヴリー Lynn Lively。「ライヴリー」という英語には「元気な、活発な」「陽気な」といった意味があるけれど、ペンネームだろうな、おそらく。

 先延ばしの魔に対抗するには、リンさんの名前にあやかって元気いっぱいに仕事に立ち向かうしかなさそうだ。

   


   

神保町そぞろ歩き  11月4日(火)曇り

 

 気まぐれというわけでもないんだろうけれど、天気にも偏りが見受けられる。照る日、降る日が必ずと言っていいほど決まっている「特異日」だ。
 11月3日は晴れの特異日。この時期、大陸の移動性高気圧が日本列島を覆うためか、澄んだ秋空が広がることが多い。

 「特異日の部屋」(http://members.jcom.home.ne.jp/yasu.k/tenki7.htm)に出ている統計一覧を見ると、一目瞭然。札幌・山形・東京横浜・京都・大阪・福岡・那覇の毎年の記録が手に取るように分る。
 それによるとこの日が晴れなかったのは、東京を例に挙げると1990年代では94年のみ。あとは2000年、01年。いずれも「曇り時々雨」だった、とある。去年はセーフだった。とはいっても、よく覚えてはいないのだけれど…。

 晴れるはずの昨日は、雨模様の「文化の日」となった。
 今度の日曜日、9日に行なわれる衆議院選挙の予想が新聞・TVに出ていた。自民党優勢を伝えるものがほとんどだ。ところが、まだ3割の人たちがどの党を支持するか態度を決めていない、との見方もある。
 票の行方も、これからの日本のあるべき姿も、からっと晴れた青空の下には見当たらなということだろうか、雨が降ったのは。

 2日、神保町で開催されている「神田古本まつり」へ行ってみた。やらなければならない仕事があるのだけれど、取りかかる前に気分転換もいいじゃないか、と都合よく考えて外に出た。連休気分も味わいたいしね。
 曇ってはいたが、雨には遭わずに済んだ。

 今年は「江戸開府400年記念」と銘打っていた。この催し、これで44回を数えるという。すっかり秋の風物詩として多くの人に親しまれている。。
 150軒余りの書店が一斉に出品する一大イヴェント「青空掘り出し市 一年一度100万冊の大バーゲン」。相当に迫力がある。

 午後3時過ぎ、神保町交差点に着く。地下鉄の駅から階段を上り、出た所がもう会場。靖国通りに面した歩道で、岩波ホールと銀行の入ったビルの前だ。
 露天に並ぶ本屋にはどこも人が集まっている。読書週間ということもあるのだろうか。よくもまぁこれだけ人がいるもんだ、と感心してしまう。

 昔は何冊かまとめて買うと、店では紐で縛ってくれたものだった。持ちやすいように手鉤をつけてくれる店もあった。いまはスーパーのレジ袋みたいなのにばさっと入れている。素っ気ないような気もするけれど、丈夫だし、実用的ではある。
 もっと大量に買い込むお客さんのためには、宅配便の係員が待ち受けていて、忙しそうに荷物を捌く姿が見られた。これも時代だなぁ、と思う。

 交差点から、岩波書店の新刊本が揃っている信山社へまわる。そのビル脇の小路もイヴェント会場だ。道の両側に古本を入れたワゴンがずらり。
 やはり熱心なお客さんたちがひしめき合う。店員たちの「いらっしゃい、いらっしゃい」の声が、ビルに挟まれた小路に響き渡る。

 その道を抜けると、さくら通り。本だけでなく、おでんやドリンクなどの屋台も出ている。通りの真んなかにはテーブルや椅子も用意され、くつろいでいる人々の顔には笑みが溢れていた。歩行者天国を想い起こさせる、のどかな雰囲気だ。

 白山通りを渡って、すずらん通りに入る。こちらも本を積み上げたワゴンが所狭しと置かれている。
 古本屋だけでなく、いろんな出版社が自社の本を並べて売っているのが目立つ。神田界隈には出版社が多い。小学館、集英社、大修館書店、白水社、青土社…。もちろん、他の地域からの遠征組もいる。在庫処分にうってつけの催しというわけなんだろう。
 どうぶつ出版の社員のひとりは着ぐるみに身を包み、道行く人たちに「さあ、いらっしゃい」を連呼していた。ご苦労さま、と言いたくなった。

 こちらの会場も、売っているのは本ばかりではない。飲食物もあれば、昔懐かしい玩具もあった。
 「日本国憲法タオル」というのまであって面白い。顔を拭く度に「第9条」などの文面が読めるから、いつかはすらすらと暗誦できるようになるかもしれない。

 三省堂書店も古本まつりの会場になっていた。同店のすずらん通り側出入口には、古本が山と積まれている。次から次へとお客さんたちが吸い込まれて行く盛況ぶりだった。午後8時までやっているそうだ。
 三省堂、東京堂、冨山房といった老舗の新刊書店が立ち並ぶすずらん通り。この催しの期間中、古本との相乗効果で新刊書の売上げ増が期待できるのかもしれない。

 山の上ホテルと言えば、売れっ子作家がいわゆる“缶詰”状態になって原稿書きに追われる宿として有名だ。その前の坂道を下って行くと、左手に錦華公園がある。ここでも「青空古本市」が開催されていたことがある。小学生の時分だったか、父に連れられて覗いてみたけれど、大人たちに混じって本を探すことはちびの僕にはとてもできなかった。

 すぐ隣が1873年(明治6年)に開校した錦華小学校。ご多聞に漏れず少子化の煽りを受け、1993年(平成5年)3月、統廃合計画が適用された。いまは御茶の水小学校と名を改めている。同校卒業生の方々は、さぞ寂しい思いをされていることだろうと推察する。
 夏目漱石が6年生に編入したことがあり、校庭の外には『吾輩は猫である』と刻まれた碑が建つ。

 公園ではもう古本市は開かれない。小学校の名前も変わってしまった。時は移ろう。そして、いろいろなことが変わってゆく。
 それでも本の街ではこうして毎年、古本まつりが営まれているのが嬉しい。昔とは違った出店の様子も現われているのを見かけた。これからも工夫を凝らしながら続いてゆくのだろう。
 本好きたちが集うこの賑わいをいつまでも守ってほしいと思う。

 これだけの人だかりだと、本を見つけるのは容易ではない。すでにワゴンの前に並んでいる人たちの肩越しに、本の背表紙を眺めてみる。そうやって数軒流して歩いてみたけれど、好みの本を見つけることはできない。
 どうせいい本はすでに売れてしまっているものさ。そんな風にあまり当てにしないでいた。

 たまたま、誰にも見向きもされていない本が1冊、台の上に転がっていた。タイトルが面白い。『今日の先のばしは明日の憂鬱 グズで損をしない賢い人生の選び方』(リン・ライヴリー著 桜田直美訳 角川書店 2001年)。
 安いので買うことにした。この本を読めば、何かをしなければならないのに踏ん切りがつかずに始められないといった悪い癖が今度こそ治るんじゃないか、という期待を胸に抱きながら。


 「古本まつり」の賑わい