手元に2枚の紙片がある。正式な名称はちと長い。「衆議院議員選挙 最高裁判所裁判官国民審査 投票所のお知らせ」。
その「お知らせ」の表には娘と息子の名前が印刷されている。その右には投票所である中学校まで道のりを示す地図。いまの住まいに引越ししてきてからすでに数回足を運んでいる場所だから、何をいまさらという気もした。
この2枚の「お知らせ」が残っているということは、わが家の娘と息子は投票に行かなかった事実を示している。「今度の選挙はいままでになく面白いことになりそうだ」と、娘には言っていたのに。
「うん、行くよ」と彼女は答えていたのだけれど、土曜日は友だちに会いに出かけ、そのまま帰って来なかった。息子はいま家を離れているので、話しようもない。
娘はいま、声帯に変調をきたしている。痙攣性発声障害と診断された。普通に喋るのが困難なのだ。
雑誌編集の仕事がハードで、その上編集長を任じられ、肩にのしかかる責任の重みが応えているようだ。25歳とはいえ、ほとんど毎日のように帰宅は深夜、朝も10時までには出社、という暮らしには無理があるようだ。
で、思うように声が出なくなってしまった。いま、リハビリのため専門病院に通っている。
身体は正直なもの。会社に行くとなると、嗄れた声で喋るのがやっと。が、友人たちと遊びに出かける時は、笑うのも喋るのもさほど不自由を感じていない様子だ。まぁ、友だち連中と会って飲んだり食べたりしながら仕事のストレスを発散するのが何よりなんだろう。そう思って、娘の行動を大目に見ている。
投票に行くのかどうか、娘の携帯電話にメールを入れた。すぐには返事がなかった。やっと返信が来たのは夕方5時近かった。「M(息子の名前)のライヴを観たから選挙に行けない」という内容。
幼かった頃はそうでもなかったけれど、娘は弟思いになってきたものだ。
そうだったのか。美容師の見習いを辞め、音楽の道に進む決意をした息子。彼のバンドがオーディションのため、吉祥寺の某ライヴハウスに出たのだという。合格すれば、そこに出演してギャラを貰えるようになるはずだ。
息子としては、演奏の出来具合について忌憚のない意見を姉から聞きたかった、ということなのだった。
そんなわけで、娘と息子は昨日、選挙権を行使しなかった。で、彼らに送られて来た「お知らせ」が僕の手元に残ることになった。僕の気持ちとしては、ぜひ投票してほしかったのだが…。
投票所に行けないのなら、不在者投票をすればいいのに。僕はそう思う。
若い世代の政治への無関心ぶりが残念でならない。どうして、自分の意思を反映させることのできる、またとないチャンスをみすみす逃してしまうんだろうか。
「自分ひとりくらい棄権したところでどうってことないだろう」といった考えなのかなぁ。若い人たちにこそ「いまの政治に物申す」というくらいの意気込みを持ってほしい。
聞くところによると、投票率と天気とは関係があるそうだ。
晴れればいい、というものではないというから面白い。あまりにいい天気だと、いまの季節なら紅葉なんかを見に出かけてしまったりする人も多いのだろう。要するに、選挙なんかよりも行楽の方がいい、というわけ。まぁ、その気持ち分らないでもないけど。
では、どんな天気だったら投票率は上がるのか。
「曇後小雨」。統計によるとこれがいいという。いまの憲法の下で行なわれた1947年以来20回の衆院選で、最も投票率が高かったのは「曇後小雨」だった。「晴」の日の投票率は2位と最低、という記録があると聞いた。
昨日、そんな空模様となった。投票率が伸びるかと期待したけれど、そうではなかった。小選挙区選では59.86%という結果に終わった。ずいぶん低い。前回2000年の62.49%を2・63ポイント下回った、と報じられている。比例選も59.82%で、前回の62.45%を下回ったのだという。
政治や政治家に愛想をつかした人たちが多いのだろうか。いずれにしても、いい傾向ではない。妙な諦め気分がこのまま日本中に蔓延しないでくれればいいが。自分がやらなくても誰かがやってくれるだろう、なんていう他力本願はやめたい。
選挙結果は与党が絶対安定多数を勝ち取った。政権交代を狙う民主党は過半数には及ばなかったものの、177議席を獲得。二大政党への道筋がついたと言えるだろう。237議席を得たとはいえ、10議席を失った自民党も安閑としてはいられまい。
「マニフェスト選挙」と言われ、選挙運動中のその場限りの空約束よりも、政党の掲げる政策の中身が問われるようになったのはいいことだ。
いち早くマニフェストを打ち上げた民主党が比例第一党となった。小泉流構造改革が思うように進んでいないいま、有権者が変化を求めていることがこのことを見ても明らかとなった形だ。
手元に残された「お知らせ」の紙片に再び目をやる。ここにあるのは、無効になっ二人分の票。
「1票の格差」はいまも存在する。1議席当たりの人口格差は2.138倍と言われる。都市部の有権者を二人合わせても、他の地方の有権者ひとりの票の重みには及ばない、ということになる。
だからといって、せっかく手にしている票を無駄にしていいということにはならない。娘と息子には再びそのことを言って聞かせなくちゃ。
低落する投票行動への関心を何とか引き上げる方法はないものだろうか。
本来はインセンティヴなんかなくても、有権者は投票所に足を運ぶべきだと思う。が、選挙にもう少し遊びの要素を取り入れるのも手かもしれない。
選挙でトトカルチョをしたらどうだ、という意見もある。しかし、誰が当選していくら貰えるか、という点にばかり興味が集中して肝腎の投票行動に結びつかなかったら困るなぁ。
経済書の翻訳者であり、コンピュータ、小説などの執筆者でもある山形浩生さんも著書『新教養主義宣言』(晶文社 1999年)で、思い切った提案をしている。
主張はズバリ「選挙権を売ろう! 市場性民主主義の提言」。実に明快にこう言ってのける。「選挙権の売買を合法化するのだ」。(同書 p.211)
びっくりする発言だけれども、読んでみると面白い。
選挙ごとにひとり1票ではなく、10票を持ったらどうか。そして、そのうちの3票くらいを売りに出してもいいじゃないか、というのだ。
「でも、金で買った1票と、考え抜いたおれの1票とが同じだと悔しいから、市場に流れた票は手元に残した票の10分の1くらいの重みってことにしよう」。(同ページ)
公開市場を作って選挙権を売買してしまおう、という大胆な発想。いまは棄権した票は単なる死票。それなら、ひとりで複数票を投じてでもある候補者や党を応援したい、という望む有権者がその票を買い取って自らの意思を生かすという道があってもいい。
選挙権を金でやり取りするなんてとんでもない、という清潔な考えを持つ人たちは眉をひそめるだろうけれど、実施されれば話題にはなるだろうなぁ。
蔭でこそこそ票を金で買うという行為は罪になる。が、オープンに売買することで死票がぐんと減るのなら、それもまた「あり」なんじゃないだろうか。
娘と息子が行使しなかった2票の選挙権をもったいないと思うので、山形さんの説に頷きたくなる。
投票所に行くのが面倒な人もいるかもしれない。それならたとえば、選挙人名簿に記載された数字などを入力すれば携帯電話から投票することもできる、といった、IT時代を考慮した投票方法も考えられてもいいんじゃないだろうか。
手元に残された2枚の「お知らせ」は、僕にいろいろなことを考えさせる。