♪「シャンソンを貴方に…」〜シャンソン情報TV番組オンエアのご案内〜
東京メトロポリタンテレビジョン(MXTV)・群馬テレビ(GTV)において毎回多彩なゲストをお迎えして見ごたえのある30分番組となっています。
   
☆TOKYO MXTV
☆群馬テレビ
[特集]リーヌ・ルノー [出演]芦野宏他 [ゲスト]モンデンモモ
 1月8日(木)21h00〜21h30
 1月15日(木)21h00〜21h30(再放送)
 1月14日(水)22h00〜22h30
 1月21日(水)22h00〜22h30(再放送)
[特集]シャルル・トレネ [出演]芦野宏他 [ゲスト]堀内環
 2月5日(木)21h00〜21h30
 2月14日(木)21h00〜21h30(再放送)
 2月11日(水)22h00〜22h30
 2月18日(水)22h00〜22h30(再放送)
[特集]グロリア・ラッソ [出演]芦野宏他 [ゲスト]石井好子
 3月4日(木)21h00〜21h30
 3月18日(木)21h00〜21h30(再放送)
   3月10日(水)22h00〜22h30
 3月17日(水)22h00〜22h30(再放送)
この「修平のひとりごと」は、2ヶ月ごとに削除いたしますので、必要な方はご自分で保存してください。(管理人)
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新成人による「時」の意識  1月9日(金) 晴れ

 

 面白い調査結果を見た。セイコー株式会社が昨年11月に実施した“新成人が考える「時」の意識”。同社は時を刻む道具を作って売るだけではなく、若者たちが発信する時代の息吹をとらえようとしているかのようだ。
 調査対象は2004年に成人式迎える516名の男女。詳細な結果を、アンケート調査のページ(http://www.seiko.co.jp/nihongo/shinseijin2004/)で見ることができる。

 質問は以下の8項目。

Q1.どんな「マニフェストを掲げますか」。
Q2.いま総理大臣にふさわしい人は。
Q3.いま最も輝いている「時の人」は。
Q4.時間が止まってほしいと思う瞬間は。
Q5.24時間がお金で買えるとしたら。
Q6.「おじさん」「おばさん」は何歳から。
Q7.成人の記念に何を贈ってもらいたい。
Q8.新成人として「1秒で言いたい言葉」は。

 Q1.には「もし、いま総理大臣になったら」という条件がつく。この調査、先の衆議院議員総選挙にタイミングを合わせて実施されたものなのだ。
 ちなみにこの問に関する回答のトップは「減税・税制改革」(総計19.6%)。第2位「構造改革」(14.3%)。第3位「教育問題・法改正」(6.6%)。こうした数字を見る限り、新成人たちは政治に無関心ではないようだ。次の参院選にはちゃんと選挙に行ってくれよな。

 Q2.では「北野武」が断然トップで総計10.5%。(以下、いずれも総計)次いで「星野仙一」(5.0%)、「所ジョージ」(2.9%)。TVなどへの露出度の高い才能ある人物に関心が集まっている。

 僕としてはQ4の質問そのものが気に入っている。ちょいと詩的じゃないの。
 第1位は予想どおり「恋人といる時」で19.2%。この感覚、健全と言うべきだろう。恋人と一緒の時間が楽しくないはずがない。第2位「寝ている時」(11.0%)はちょっと驚き。おいおい、スポーツするとか遊ぶとか、もっと熱い時間を過ごしてないのかよ。第3位は「幸せを感じる時」(9.1%)という、どことなく抽象的な答。だから、いったいどんなことをしている時が「幸せを感じる時」なのよ、とい聞き返したくなる。

 気になる質問がある。Q6.「おじさん」「おばさん」は何歳から。
 「おじさんは何歳から」のトップは「40歳」(32.0%)。この答に「80年の寿命でちょうど中間地点」いうコメントが寄せられた。第2位「35歳」(17.8%)。「首筋からオヤジ臭がしたらオヤジ」という、とある男性からのコメントが紹介されている。なるほどね。で、第3位は「30歳」(17.4%)。たった10歳しか新成人諸君と違わないのにねぇ…。

 「おばさんは何歳から」に目を転じてみよう。第1位に輝いた(?)のは「30歳」(25.4%)。ある男性から浴びせられたコメントは「これ以上は売れ残り」。女性からも「女の花は終わった」というのがある。おいおい、何も分っちゃいないくせによぉ〜、なんてスゴんでみたりして。第2位「40歳」(23.6%)。「この頃から図々しくなる」とコメントした男性がいる。ちょっと待ってよ。じゃあ、電車内で化粧する女子高生なんかはどーなるわけ?第3位「35歳」(15.3%)。ある男性のコメントによると「行動がおばさん化してくる」から、だと。

 それにしても「売れ残り」だの、「女の花は終わった」だの、21世紀の新成人にしては意外に古めかしい考え方をしてるなぁ。50歳を過ぎたこのおじさんはそう思います。ま、そう言うことによって、自分たちが青春真っ盛りを生きてるんだ、という気分になってるのは分らないでもないけどね。何を隠そう、僕もそんな気になっていた時期があったから。
 誰かからの受け売りなんだろうね、そういう価値観って。でも、いつまでも若くいたいと本気で思うなら、そうしたステレオタイプな考え方はやめた方がいいな。おじさん、おばさんになる頃には、きみたちの感性が動脈硬化を起こすだろうから。

 さて、新成人たちからおじさん、おばさんと呼ばれたからって眉を吊り上げたり、腹を立てたりしちゃいけませんよ、こちらのあなたも、そちらのあなたも。
 シャンソン・フランセーズは知恵の宝庫です。若いもんには分らない人生の機微が歌い込まれてます。ほら、こんなシャンソンがあるじゃありませんか。そう、ベルト・シルヴァ Berthe Sylva があの庶民的な声で歌ってた「はかない青春」"On n'a pas tous les jours vingt ans"が。どうもこの邦題は侘しい感じですが、直訳すれば「誰もいつまでも二十歳じゃいられない」といった感じですな。このルフランが覚えやすい、明るいメロディーでいいです。

誰だっていつまでも二十歳じゃいられない
二十歳の日々はただの一度しか来ない
あまりに早く過ぎ去ってしまうもの
だから それを利用しなくちゃ

On n'a pas tous les jours vingt ans,
Ca nous arrive une fois seulement,
Ce jour-la passe helas trop vite !
C'est pourquoi faut qu'on en profite.

 まぁ、言いたいことを言ってる若いもんたちにこの青春讃歌を贈ってやろうじゃありませんか。人生の楽しみ方を知っている大人からのプレゼントとして。

   


   

男、それとも女?  1月8日(木) 晴れ

 

 またもや不思議なことが起きた。昨夜のことだ。11時を過ぎた頃だったろうか。娘が僕のいる部屋に来てこう言った。
 「ねぇ、デスクトップ・パソコンの電源入れた?」
 「いいや、入れてないよ」。いまはもっぱらノート型を使うことが多いので。寒さが本格的になってきたこの頃、わざわざ席を立ってデスクトップの置いてある場所まで行かないで済むのはありがたい。
 「また(スウィッチが)入ってるよ」と娘は続けた。ここしばらく影をひそめていた現象がまた起きたことにちょっと戸惑いを感じながら、スウィッチを切ってくれるように頼んだ。

 去年の5月にノートパソコンを買って以来、誰も触っていないのにデスクトップ型の電源がひとりでに入る現象がしばらく続いた。それも草木も眠る丑三つ時のことが多かった。時間が時間だけに、何だか妙な気分になったものだ。
 「パチッ」という音を立てて本体のスウィッチが入り、暗闇のなかにはグリーンの色が光る。

 古株のデスクトップがノートという新参者にちょいとやきもちを焼いたんだろうか、なんて思った。機械同士の間でそんなことってあるもんだろうか、と半信半疑でこの欄に書いたことがある。
 久しぶりに起きたこの小さな出来事にまた、「コンピュータのきもち」について思いをめぐらしてみた。常識的に考えれば、単なるモノでしかないコンピュータが人間的な感情を持つなんてあり得ないだろう。

 でも、ひとつの作品を思い出す。後にスタンリー・キューブリック監督が映画化した、アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』。
 あのなかに登場するとてつもなく頭のいいコンピュータ、ハルのことだ。宇宙船ディスカバリー号の運行を制御しているハルは、乗組員であるボーマン船長たちの考えていることを理解する。人間の心まで読み取ることのできる、恐るべきコンピュータだったのだ。

 あの映画を観た頃にはまだ、コンピュータなんて特別な人たちのものだと思っていた。まさかいまのように誰もが簡単に操作できるようになるとは思っていなかった。
 それはともかく、人間を支配し、人間の意志に抵抗しようとする優秀なコンピュータ、というイメージは強烈に僕の脳裡に刻み込まれた。ひょっとすると、僕がコンピュータ恐怖症になってしまったのはこの映画から得たショックが原因だったのかもしれない。

 『2001年宇宙の旅』で見られたように、コンピュータ対人間という図式が想像できるなら、コンピュータ対コンピュータという図式だって考えられなくはないんじゃないだろうか。
 ひとりでに電源の入るデスクトップをまじまじ見つめながら、そんな風にファンタジーの翼を広げてみる。そうすると、数字や記号で書かれた言語しか理解しないはずのコンピュータが人間の側に近づいてくるように感じられて楽しい。機械が機械に恋したり、嫉妬したり…。根っからのアナログ人間である僕としてはそんなことがあったら面白いだろうなと思う。

 ところでいったいコンピュータは男なんだろうか、それとも女なんだろうか。
 まともに考えても答の出ない問題についてはユーモアで対処するのがいい。
 「マイクロソフト・ジョークス」(http://page.freett.com/nagai/)が楽しい答を用意してくれている。タイトルも「あなたのコンピュータは男性か女性か?」。コンピュータからは出てこないような、エスプリの効いたジョークに思わずニヤリ。
 コンピュータ科学者のグループ(全員男性)が「コンピュータが女性だと信ずべき5つの理由」を表明したそうだ。なお、“―”以下は僕個人の雑感。

1.創造主以外誰もその内部ロジックを理解できない。

―この場合、「創造主」はコンピュータの製造者を意味しているのだろう。旧約聖書によれば、エヴァ(イヴ)はアダムの肋骨から作られたことになっている。男の身体の一部からできているんだから容易に理解できそうなものだけれど、如何せん作ったのは創造主=神だからなぁ…。

2.コンピュータが他のコンピュータと交信するネイティブ言語は、他の誰にも理解できない。

―女たちの井戸端会議に、同じテンションで生き生きと参加できる男はいない。

3.「コマンドまたはファイル名が違います」というメッセージは、「私がなぜあなたに腹を立てているかわからないのなら、絶対教えてあげないから」というのと同じぐらいよくわかる。

―どんな理由にもせよ、ヘソを曲げたり、怒ってしまった女にこちらの立場を理解して貰うことは至難の業だ。

4.あなたのごく些細なミスでさえ長期記憶に保存され、後で引き合いに出される。

―小学生だった頃、母はよく僕を叱った。「だいたいあんたは小さい頃から…」と、話はだんだん遡るのが常だった。

5.かかわり合いになるとほどなく、給料の半分をそのアクセサリーに費やしていること気がつく。

―別れる時、男としてはそうした物やお金を返してくれとは言えないしなぁ…。

 また、別のコンピュータ科学者のグループ(全員女性)は、コンピュータは男性とすべきだと考えているそうだ。

1.データはいっぱい詰まっているが、何もわかっていない。

―これも詰め込み教育の弊害なんでしょうかね。だからといって「ゆとり教育」ってのも眉唾だってことがいま問題になってますなぁ。

2.問題を解決しようとするあなたの助けになるはずなのに、半分は彼ら自身が問題なのだ。

―はい、欠陥品です、私。

3.かかわり合いになるとほどなく、もうちょっと待てばもっといいのが手に入ったのにと気がつく。

―ダイアナ元英皇太子妃から長屋の八っつぁん、熊さんのおかみさんまで、きっとこれが本音なんだろうなぁ。

4.彼らの気を引くためには、立たせ(立ち上げ)なくてはならない。

―お気遣いありがとうございます。ただし、そうしていただけるのが、いつもこちらの気が向いた時ばかりとは限らないのがナンでして…。

5.大きなサージ電流に撃たれると、後は朝までダウンしている。

―そんなに気持ちのいい電流は滅多に流れない。

 こうしたジョークを考え出す人って人生とコンピュータの達人なんだろうなぁ。

 ところで、勝手に電源スウィッチが入ってしまうわが家のデスクトップ・パソコンは男なんだろうか、それとも女なんだろうか。深遠な謎である。

   


   

どっちがどっち  1月7日(水)晴れ

 

 遠くを見るとほっとする。開けた風景に憧れる。林立するビルの谷間をちょこまかと行き交い、目先のことに追われる都会暮らしをしているせいだろうか。ずっと遠くまで見渡せる、広々とした場所にはなかなか行くチャンスがない。

 それでも時折、家並みが急に途絶えて遥か彼方まで視界を遮るもののない場所に出くわすこともある。閉じ込められていた袋のなかから見上げたら、ぽっかりと穴が開いているのを見つけたような気分になる。ビルとビルによって四角く切り取られた空とは違う空がそこに広がっている。街路樹とは違う木々が遠くに見える。そうした木々のてっぺんの枝が風に揺られているのを見るのも心地良い。

 本を読んだり、パソコンに向かって物を書いたりしていると、どうしても近くばかりに視線を落とすことになる。熱中するとその度合いがなおさら激しくなる。仕事柄致し方ないことではあるけれど、きっと目にはよくないんだろうなぁ。首のあたりが痛くなったり、肩も凝ってくる始末。

 目の前に置いたパソコンのディスプレイの上に現われる文字や画像を、当たり前のように眺める。それらのものは昔の人が書いた文章であったり、まだ行ったこともない風景の写真であったり。それにしても面白いもんだと思う。自分自身の身体を動かすことなくそこにある文字やイマージュを追いかけて行けば、次から次へと遠い場所や時代に旅することができるのだから。まさに時空を超えた世界をさまよう楽しさ。
 しかし、実際に見ているのはあくまでも眼前の画面に過ぎない。翼が生えたかのようにどれほど思いを飛翔させたとしても。

 そんなとをしているうちに、文字どおり目と鼻の先にある画面に顔をさらに近づけてゆくことになる。で、気がつくと目の奥が痛くなってきて、またしても外に出て遠くの景色を眺めたくなってくる…。そんなことを繰り返しながら、日々が過ぎてゆく。

 先日書いたように、新年早々パソコンのメンテナンスに時間を取られてしまった。何しろ機械が相手だから、「ま、適当に」なんて具合に途中のプロセスを端折るわけにはいかない。そう、融通が利かないのが人間とは大いに異なるところ。定められた手順に従って、一歩一歩進んで行かなければならない。律儀といえば律儀な奴ではあるんだけどね。

 ただ、OSの再インストールなんていう作業をすると、ずいぶんと時間を取られてしまうのが辛い。再インストールすればいいってもんじゃないからだ。その先がまだある。せっかく自分の使い勝手のいいようにカスタマイズした設定の数々もまたやり直さなければならない。さらにそれらをアップデートするのも忘れてはいけない。よほど覚悟を決めてかからないとやりきれる道のりではない。
 これだけの時間をかけたら他のことができるのになぁ、なんて思ってしまうといまやっていることがアホらしくなってくるから考えないことにしなくちゃ。

 ひとつ救いなのは、このノートパソコンの性能が前から持っているデスクトップよりもいいこと。処理能力がずっと速い。頭のいい奴、といった趣がある。
 とはいえ、時間はかかる。で、仕事を任せている合間に本を拾い読み。そうそう、山形浩生さんの面白い本があったっけ。『新教養としてのパソコン入門 コンピュータのきもち』(アスキー 2002年)。

 いまの僕みたいに、困った事態に至って人間が悩む場合もあるけれど、コンピュータにしてみたって「おい、何だこの人間は」って思ってるかもしれないてなことが書いてあったはずだ。

 あった、あった、152ページに。見出しは「ソフトウェアとしての人間、なんてことを考えてみる」。引用させていただこう。

 実はコンピュータにとって、まさに人間というのは変なソフトウェアの一種なのだ。(同ページ)

 「え、何それ」と一瞬思う。要するにユーザーである僕たちもまた、コンピュータによって管理されている、ということ。山形さんはUnix系の例を挙げているけれど、ウィンドウズでも理屈は同じようなものだ。試しに自分の名前のついたフォルダがあることを確かめてみればいい。他のアプリケーションソフトと仲良く並んでいるのが目に入るはずだ。こうなると、どっちが主でどっちが従やら分らなくなってくるなぁ。山形さんは続ける。

 つまりあなたがコンピュータの動作に怒ったりしてみても、コンピュータにとってそれは、あなたが使っているワープロがエラーメッセージをたくさん出すのと大差ない事態でしかないわけだ。(p.154)

 その後、ソフトウェアの一種としての自分がコンピュータに対してちゃんと振舞っているかを考えてみるのもいい、と書いてある。そうか、自分の立居振舞いのまずさを棚に上げてブツクサ言ってる僕はできの悪いソフトなのかもしれないなぁ。どっちがどっちだかって、コンピュータの側も頭を悩ませていたりしてね。
 そう思うと愉快になってきて、長い復旧作業も苦にならなくなってきた。

 でもできるだけ早く、遠くを眺めに行きたいもんだなぁ…。

   


   

不意打ちを食らったような  1月6日(火) 晴れ

 

 不意打ちを食らったような思いにとらわれた。
 小泉純一郎首相が元日に、何の前触れもなく靖国神社に参拝したからだ。羽織袴姿で公用車から降り立ち、社殿に入って行く姿がTV画面に何度も映し出された。
 正直言って「いったいなんでまた?」と思った。イラクへ航空自衛隊の先遣隊が出たばかりで、陸上自衛隊の先遣隊も日本を発とうとしているこの時期に。

 縁起でもない、という気もしないわけではない。だって、あの神社は「国内の戦乱に殉じた人達を合わせ祀り、明治10年の西南戦争後は、外国との戦争で日本の国を守るために、斃れた人達を祀ることになった神社である」(靖国神社サイト http://www.yasukuni.or.jp/ より引用)から。
 イラクに夫や父を送り出す家族の気持ちを、少しは考えてみたことがあるんだろうか、小泉さんは。もちろん、自衛隊は戦争をしに行くわけじゃない。でもまさか、いまから当地で犠牲者が出ることを僕たちに覚悟しておけ、とでも言いたんじゃないでしょうね。まだ誰ひとり“お国のために”尊い命を落としたりしてないし、また、そうさせてはいけないんでしょうが。

 「初詣でという言葉があるように、日本の伝統だ」と、参拝後に小泉さんは記者団に語っている。たしかに元日に神社に参詣するのは日本の伝統だ。さらに言えば、自分の住んでいる土地の恵方にある社に詣でるのが本来の姿だ。有名な神社に列をなすのがこの頃では当たり前になってしまったけれど。まぁ、靖国神社のネームヴァリューはかなりのものではあるだろうけれど。

 いや、あり過ぎるくらいだからこそ慎重にして貰いたいと僕は考える。中国や韓国からの抗議がさっそく来た。とはいえ、近隣諸国にあまりにも遠慮し過ぎるのもどうかと思う。小泉さんは記者団にこうも言った。「どこの国でも、その国の歴史や伝統、習慣を尊重することについてとやかくは言わないと思う」。
 たしかにそのとおり。が、ちょっと待ってほしい。そうした歴史や伝統の基になっている考え方を、分りやすく諸外国に説明してきているだろうか。

 大東亜戦争とも呼ばれる先の大戦中はたしかに、軍国主義の精神的支柱として靖国神社はあった。が、敗戦後、連合国軍総司令部(GHQ)の政教分離指令(神道指令)によって独立の宗教法人に改組されている。ここが肝腎だ。中国や韓国などアジアの近隣諸国が軍国主義復活を危惧する必要などない、と首相や政府がことあるごとに説明を重ね、同意を得るという努力を怠るべきではないだろう。

 彼らが抗議する時、真っ先に槍玉に挙げるのは、靖国神社には東条英機元首相などA級戦犯が14名も合祀されている点だ。彼らの国への侵略戦争を指導した者たちは死後もその罪を免れない、という論理からの批判と言えるだろう。
 が、善人であろうと悪人であろうと死ねば神や仏になる、という考え方が日本には古来からある。だから死者を分け隔てなく丁重に葬る。非業の死を遂げた人物に対しても。そうしないと、怨霊となって生きている者たちに災いをもたらすと考えられたのだった。まともに葬れば、村や国といった共同体の守護者になってくれるとも、昔から日本人は考えた。
 まぁ、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒など一神教を信仰する人たちには理解しにくいだろうけれども。

 それでも、そうした日本独自の考え方、風習を繰り返し何度でも説明していかなければならない。それが相手の理解を生むきっかけとなるはずだから。そんなの面倒だからいきなり羽織袴で元日に参拝して態度で示し、「さあ、これで分ってくれ」というのでは、いささかデリカシーに欠ける行為と言わざるを得ない。

 文化や習慣を異にする者同士だからこそ、互いの違いを認め合い、理解しようと努めなければならない。たしかに面倒ではあるけれど、こちらのものの感じ方や考え方をよく説明し、分って貰う努力を惜しんでいては「日本は軍国主義の復活を目論んでいるのではないか」という近隣諸国の危惧を追い払うことは難しいだろう。首相の靖国参拝は慎重にしてほしいというのは、そうした考えからだ。

 今年は申年。十干を合わせれば甲申(きのえさる/こうしん)。同じ十干と十二支の組み合わせは60年に1回めぐってくる。いまから60年前の甲申の年といえば1944年(昭和19年)。時あたかも日本は太平洋戦争のただなかにあった。7月にはサイパン島の日本軍が玉砕。それが引き金となって同18日、東条英機内閣が総辞職している。10月25日、レイテ沖海戦で神風特攻隊が初出撃、翌年の敗戦になだれ込んでゆく。

 申年、時世は大いに揺れ動くとか。新しい希望に満ちた方向への胎動ならば歓迎だけれど、間違っても60年前のような愚は避けたいものだ。
 不意打ちのような小泉さんの靖国参拝で明けた2004年。これがだまし討ちの始まりでないことを願いたい。

   


   

昨日から今日、明日へ  1月5日(月)晴れ

 

 みなさん、新年明けましておめでとうございます。良いお正月でしたでしょうか。僕の方は、ま、本文をお読みください。何はともあれ、本年もよろしくお願い申し上げます。

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 すべてはひとつのことから始まった。
 アンチウイルスソフトが昨年末、妙な動きを示した。「内部エラーが発生しました」という警告メッセージが出たのだ。5月にノートパソコンを買った時にすでにインストールされていた「ノートン・インターネットセキュリティ2003」。
 エラー番号を頼りに発売元のサイトに飛ぶ。現在のヴァージョンをいったんアンインストールして再インストールするように、という指示が出ている。しかも、通常のアプリケーションソフトのアンインストールの方法ではなく、独特の手順を踏まなければならないことが事細かに書かれている。ただでさえ慌しい年の瀬に、そんな手間のかかることをやってられるかぁ…。(泣)
 思い出すだに悔しい。とはいえ、これが引き金となって「ひとりごと」も更新できなくなったのだから、年初め早々の反省としてここに記しておこう。

 運の悪いことにこの「ノートン・インターネットセキュリティ2003」、5月に買ったノートパソコンにすでにインストールされている。店頭で買ったパッケージ版ならCD−ROMを使って作業できる。が、プリインストール版の場合、このアンチウイルスソフトは買った時についてくる4枚の「アプリケーションCD」のひとつに含まれている。しかも、それがどこにあるのか分りにくいときている。ファイル名が「NIS」という略号で表記されているからだ。それを探し出すのがひと仕事。
 いったいどうしてこうなんだろう。パッケージ版を買わせようという魂胆か、なんて八つ当たりしたくなった。

 発売元から指示されたとおりにアンインストールし、「アプリケーションCD」から見つけたアンチウイルスソフトをインストールし直す。ところが、一部の機能がインストールできないことが分った。
 こうなったらなすべきことはひとつしかない。OSの再インストールだ。(またかよぉ〜、と心のなかで嘆く)

 それも何とか終え、さぁ今度こそ大丈夫と思いきや、またしてもアクシデント発生。今度はメールソフトが動かない。え〜っ、どうしてだぁ。もうほとんどベソかき状態。ここまでが27日の出来事。
 出かけなければならない用件もいろいろとあって、メール不調の原因をつき止められなかった。このままでは原稿を書いてもメール送信できないじゃないの。ああ、どうしよう…。なす術もないまま、あっと言う間に日々が流れ去った。
 (OS再インストールした際、メールソフトのアカウント作成にミスがあったことに年が明けてから気づいた。トホホ)

 そうこうするうちに、咽喉の左にある扁桃腺が腫れてきた。物を呑み込む時にも痛みを感じる。まったく、踏んだり蹴ったり。

 年賀状を書く間もなく、大晦日。家族の者たちが僕の母の家に集まることになっている。商店がシャッターを下ろし、ひっそりと静まり返っている街をひとり歩いて行った。もう僕以外の者たちはとっくに着いているはずだ。

 牛込柳町交差点そばに一軒、灯りが煌々と車道にまでこぼれている店があった。
 大規模なドラッグストアだ。あ、そうだ、ここはBOOK OFFだった所だ。昨年9月頃までに営業をやめていたっけ。あまり本が売れなかったのかなぁ。BOOK OFFの前は某銀行だった。バブル時期にオープンし、弾けた後も続いていた。
 こうした変転に出会うと感慨深いものがある。「去年(こぞ)の雪 いまは何処」。

 さすがに客の姿はまばらだった、その真新しいドラッグストアの左隣にはT酒店があった。手頃な価格のワインも置いており、母の家まで配達にも来てくれていた。が、そこも閉店した。隣にやって来る会社が買収を働きかけてきたんだそうだ。
 僕が幼い頃からあったこの酒店。当時、味噌も商っていた。樽がいくつも並んでいて、そこからよそって貰って買うのだった。蓋を開けるといい香りがした。樽のサイズがちょうど僕の背丈に似ていたからよく覚えている。
 そのT酒店も舞台を去った。時は移り、店が消え、人の姿も街のたたずまいも変わってゆく。すべてが変わりゆくという事実だけが変わることなく続く。昨日から今日、そして明日へと。

 静かな夜道を母の家に急ぎながら、シャルル・トレネのシャンソンの一節が頭をよぎった。

かつてあったものや もはやないもののすべて
僕の懐かしい街角のすべて (「街角」)

Tout ce qui fut et qui n'est plus
Tout mon vieux coin de rue. ("Coin de rue")

 昨日までの成果を引き継いで、今年これからどのように望ましい方向に自分を変えてゆけるか。身の引き締まる思いを感じている。

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♪Petites annonces♪

『ピアフ 愛の手紙 あなたのためのあたし』(平凡社)からの言葉が多く引用されるTV番組オンエアのお知らせ。

「古今東西の恋文を21世紀の東京で読む 恋文の世紀〜あの人にこんな恋があった〜」エディット・ピアフ〜最愛のボクサーに捧げた愛の讃歌
[出演]中村獅童/真矢みき/塚本耕二
[ナレーション]黒田あゆみ
[放送日時]2003年12月31日(水)9h30〜9h55 (NHK総合テレビ)
      2004年1月6日(火)23h30〜23h55 (NHK BS2)