またもや不思議なことが起きた。昨夜のことだ。11時を過ぎた頃だったろうか。娘が僕のいる部屋に来てこう言った。
「ねぇ、デスクトップ・パソコンの電源入れた?」
「いいや、入れてないよ」。いまはもっぱらノート型を使うことが多いので。寒さが本格的になってきたこの頃、わざわざ席を立ってデスクトップの置いてある場所まで行かないで済むのはありがたい。
「また(スウィッチが)入ってるよ」と娘は続けた。ここしばらく影をひそめていた現象がまた起きたことにちょっと戸惑いを感じながら、スウィッチを切ってくれるように頼んだ。
去年の5月にノートパソコンを買って以来、誰も触っていないのにデスクトップ型の電源がひとりでに入る現象がしばらく続いた。それも草木も眠る丑三つ時のことが多かった。時間が時間だけに、何だか妙な気分になったものだ。
「パチッ」という音を立てて本体のスウィッチが入り、暗闇のなかにはグリーンの色が光る。
古株のデスクトップがノートという新参者にちょいとやきもちを焼いたんだろうか、なんて思った。機械同士の間でそんなことってあるもんだろうか、と半信半疑でこの欄に書いたことがある。
久しぶりに起きたこの小さな出来事にまた、「コンピュータのきもち」について思いをめぐらしてみた。常識的に考えれば、単なるモノでしかないコンピュータが人間的な感情を持つなんてあり得ないだろう。
でも、ひとつの作品を思い出す。後にスタンリー・キューブリック監督が映画化した、アーサー・C・クラークの『2001年宇宙の旅』。
あのなかに登場するとてつもなく頭のいいコンピュータ、ハルのことだ。宇宙船ディスカバリー号の運行を制御しているハルは、乗組員であるボーマン船長たちの考えていることを理解する。人間の心まで読み取ることのできる、恐るべきコンピュータだったのだ。
あの映画を観た頃にはまだ、コンピュータなんて特別な人たちのものだと思っていた。まさかいまのように誰もが簡単に操作できるようになるとは思っていなかった。
それはともかく、人間を支配し、人間の意志に抵抗しようとする優秀なコンピュータ、というイメージは強烈に僕の脳裡に刻み込まれた。ひょっとすると、僕がコンピュータ恐怖症になってしまったのはこの映画から得たショックが原因だったのかもしれない。
『2001年宇宙の旅』で見られたように、コンピュータ対人間という図式が想像できるなら、コンピュータ対コンピュータという図式だって考えられなくはないんじゃないだろうか。
ひとりでに電源の入るデスクトップをまじまじ見つめながら、そんな風にファンタジーの翼を広げてみる。そうすると、数字や記号で書かれた言語しか理解しないはずのコンピュータが人間の側に近づいてくるように感じられて楽しい。機械が機械に恋したり、嫉妬したり…。根っからのアナログ人間である僕としてはそんなことがあったら面白いだろうなと思う。
ところでいったいコンピュータは男なんだろうか、それとも女なんだろうか。
まともに考えても答の出ない問題についてはユーモアで対処するのがいい。
「マイクロソフト・ジョークス」(http://page.freett.com/nagai/)が楽しい答を用意してくれている。タイトルも「あなたのコンピュータは男性か女性か?」。コンピュータからは出てこないような、エスプリの効いたジョークに思わずニヤリ。
コンピュータ科学者のグループ(全員男性)が「コンピュータが女性だと信ずべき5つの理由」を表明したそうだ。なお、“―”以下は僕個人の雑感。
1.創造主以外誰もその内部ロジックを理解できない。
―この場合、「創造主」はコンピュータの製造者を意味しているのだろう。旧約聖書によれば、エヴァ(イヴ)はアダムの肋骨から作られたことになっている。男の身体の一部からできているんだから容易に理解できそうなものだけれど、如何せん作ったのは創造主=神だからなぁ…。
2.コンピュータが他のコンピュータと交信するネイティブ言語は、他の誰にも理解できない。
―女たちの井戸端会議に、同じテンションで生き生きと参加できる男はいない。
3.「コマンドまたはファイル名が違います」というメッセージは、「私がなぜあなたに腹を立てているかわからないのなら、絶対教えてあげないから」というのと同じぐらいよくわかる。
―どんな理由にもせよ、ヘソを曲げたり、怒ってしまった女にこちらの立場を理解して貰うことは至難の業だ。
4.あなたのごく些細なミスでさえ長期記憶に保存され、後で引き合いに出される。
―小学生だった頃、母はよく僕を叱った。「だいたいあんたは小さい頃から…」と、話はだんだん遡るのが常だった。
5.かかわり合いになるとほどなく、給料の半分をそのアクセサリーに費やしていること気がつく。
―別れる時、男としてはそうした物やお金を返してくれとは言えないしなぁ…。
また、別のコンピュータ科学者のグループ(全員女性)は、コンピュータは男性とすべきだと考えているそうだ。
1.データはいっぱい詰まっているが、何もわかっていない。
―これも詰め込み教育の弊害なんでしょうかね。だからといって「ゆとり教育」ってのも眉唾だってことがいま問題になってますなぁ。
2.問題を解決しようとするあなたの助けになるはずなのに、半分は彼ら自身が問題なのだ。
―はい、欠陥品です、私。
3.かかわり合いになるとほどなく、もうちょっと待てばもっといいのが手に入ったのにと気がつく。
―ダイアナ元英皇太子妃から長屋の八っつぁん、熊さんのおかみさんまで、きっとこれが本音なんだろうなぁ。
4.彼らの気を引くためには、立たせ(立ち上げ)なくてはならない。
―お気遣いありがとうございます。ただし、そうしていただけるのが、いつもこちらの気が向いた時ばかりとは限らないのがナンでして…。
5.大きなサージ電流に撃たれると、後は朝までダウンしている。
―そんなに気持ちのいい電流は滅多に流れない。
こうしたジョークを考え出す人って人生とコンピュータの達人なんだろうなぁ。
ところで、勝手に電源スウィッチが入ってしまうわが家のデスクトップ・パソコンは男なんだろうか、それとも女なんだろうか。深遠な謎である。