いま、ポエジーのある歌が聴きたい!
大野修平著 『わが心のシャンソン 〜 そして詩人の魂をめぐって』

平凡社刊 定価:1575円[税込]全国の書店で好評発売中。

大野修平が出会った歌手とシャンソンたち。原詞と対訳を掲げてその魅力を探る。
〈収録アーティスト〉シャルル・トレネ/イヴ・モンタン/フランシス・ルマルク/レオ・フェレ/コラ・ヴォケール/セルジュ・ゲンズブール/ジャンヌ・モロー/ジャック・ブレル/ジョルジュ・ブラッサンス/ピエール・バルー/ジュリエット・グレコ/ジョルジュ・ムスタキ/ジルベール・ベコー/エディット・ピアフ/シャルル・アズナヴール そして21世紀のシャンソン歌手たち。


大野修平、最新の書き下ろしが刊行されました。
どうぞ書店でお手に取ってご覧下さい。

『哀愁と歓びのシャンソンの名曲20選〔CD付〕』
(中経出版)¥1,800

シャンソン関連のコラム、シャンソンゆかりの場所を示した
パリのイラスト地図も入ってます。
よろしかったらご感想やご意見をメールなどでお寄せ下さい。

◇ お 知 ら せ ◇
 大野修平が講師を担当する「シャンソン de フランス語」が始まりました。インターネットでフランス語のレッスンができます。ご利用には料金がかかりませんのでお気軽にどうぞ。
動画レッスンURL:http://www.unself.jp/
トップページから「語学」の項目をクリックしてお入り下さい。
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お  詫  び   2月1日(金)晴れ

   

 銀座産経学園の「フランス語で歌いましょう」の講座が1月は正月休みに当たっていたので、今日が初授業です。その準備に追われて「ひとりごと」の原稿を書く時間を取れません。お休みさせていただきますことをご了承願います。

大 野 修 平

   


   

ジルベール・ベコーを偲ぶ会があった  1月30日(水)晴れ

   

 先週26日の土曜日、ジルベール・ベコーを偲ぶ会があった。
 ベコーを招聘し続けたTさん、長年のファンだったMakikoさんとご子息のT也さん、通訳のRieちゃん、それと僕が参加者。

 場所は白金台。渋谷駅前で待ち合わせ、タクシーで恵比寿方面へ。目黒通りを入った住宅街にある隠れ家のようなレストランが会場だった。看板が掲げられているわけではなく、外から見ると普通の一軒家。
 なかに入っても、まるでどなたかの家に招かれたような趣が溢れていた。こういう環境なら、素直に心をさらけ出すこともできるというもの。

 Makikoさんは、オランピア劇場で1975年に撮ったベコーの写真を持って来ていた。その写真をテーブルに飾り、献杯。ベコーにも仲間に加わって貰っているような気分が味わえた。

 Tさんは高校生の頃からベコーが好きだった、と告白した。「その頃はラジオでシャンソンがよくかかっていたもんだよ」とも。いまとは大きく事情が異なっていた。ベコーを日本に呼ぶことに情熱を傾けていたTさん。それが叶わなくなってからというもの、目標を失ったように感じる、と漏らしていた。

 あれは1989年のことだった。大阪で来日ツアーが終了した直後、ステージの袖でTさんはベコーと抱き合って踊ったことがあった。Tさんのベコーが好きで好きでたまらないという気持ちが、ご本人にもしっかりと伝わっていたのだ。

 ヘルシーな和食とおいしいワインに話が弾んだ。
 それぞれに心に抱くベコー像がある。僕は照明・音響スタッフやミュージシャンたちの通訳を受け持っていたから、彼らとの思い出も多い。
 そのひとつを披露した。バンドマスターだった、ジャン=ピエール・ドルセをコンサート会場に連れて行く時に彼の背中をちょっと押して急がせたら、烈火のごとく怒り出したことがある。きっと彼のプライドを傷つけてしまったんだろう。その後、3日間ほど僕と話をしてくれなかった。それ以来、どんなに急いでいる時も誰の背にも触れることはない。

 偲ぶ会は物静かな雰囲気のうちに終わった。2001年12月18日にベコーは亡くなった。月並みな言い方になるけれど、姿は見えなくなっても彼はいまも僕たちの心に生き続けていることを確認する時間を過ごすことができて幸せだった。

 この世界に入るきっかけとなったのが、1978年のジルベール・ベコー来日公演ツアーの通訳の仕事だった。そのツアーで舞台監督だった照屋文雄さんと出会い、いろいろとステージのことを教えて貰った。つい昨日のことのようだ。
 その文雄ちゃんも、ベコーもいまはいない。ふと寂しさが襲う。

 久しぶりにベコーのビデオを観た。NHKが昭和女子大人見記念講堂で収録したものだ。「春を待つ」から始まる。ミュージシャンたちの名前のスペリングが間違っているのがちょっと気になるけれど、ベコーのエネルギッシュなステージの魅力がよくとらえられている。
 あんなに元気で、観客へのサーヴィス精神に富んでいただったベコー。“ムッシュ10万ボルト”というニックネームがつけられていたほど力強いイメージがあっただけに、いなくなるとほんとに火が消えたように寂しい。

 繰り返しビデオを観ているうちに、ベコーやスタッフ、ミュージシャンたちと過ごした日々を懐かしく思い返した。
 そのうちに胸が一杯になって、一昨日は「ひとりごと」を書く気持ちになれなかった。

 ベコーから貰ったパワーを忘れることなく、これからも仕事を続けていきたいとつくづく思っている。

   


   

ただ、雪が降っただけなのに…  1月25日(金)晴れ

   

 一昨日23日の朝、東京にも雪が降った。
 それも、ちらほら舞うというのではない。風のせいもあって、勢いよく斜めに降りしきっていた。上半身を傘とともに傾けて歩いて行く人たち。

 眠っている間に降り始めていたのだ。すでに道路や街路樹の根元は白い綿を置いたようになっている。
 東京での積雪は2年ぶりのことになると聞いた。そうか、そんなに雪と縁遠くなってしまったんだ、東京の街は。

 ひっきりなしに降ってくる雪を窓越しに眺めながら、いつしか想いは昔に返って行った。ただ、雪が降っただけなのに、なぜか心は楽しくなってくる。
 冷たい雪なのに心をほんのり温めてくれるのは不思議だ。豪雪地帯に暮らす方々から見れば甘っちょろい感慨だとお叱りを受けるかもしれないけれど。

 僕たちが子供の時分、冬には何度も雪が降るのが当たり前だった。それがいまは数えるほど。これも地球温暖化と何か関係があるんだろうか。

 雪は子供の遊び友だちだ。
 近所の子たちと雪を転がし、雪だるまを作った。出来上がっただるまに炭団(たどん)を目玉に、炭を眉に見立てて入れた。そう、まだ炭を売っている店が身近にあったのだ。
 雪合戦もやった。素手で雪玉をこしらえているうちに真っ赤になったものだ。

 セーターの袖に落ちた雪片。その形はまさに雪印のロゴマークそのもの。友人たちと「ほんとだ」と喜んだことがあった。

 スキーもできるくらいに雪は積もった。おかしなことだけれど、スキーの内側のエッジを立てて滑走するスケーティングを習得できたのはゲレンデではなく、家のまわりに積もった雪の上でのことだった。

 僕が育った新宿区にある戸山ハイツ一帯はその昔、尾張徳川家の下屋敷だった。その庭園の築山だったのが「箱根山」。標高は44.6メートルながら、新宿区の最高峰だ。
 雪が降るとそこにもスキーヤーたちが斜面に集まった。区内随一の山とはいえ小高い丘みたいなものだから、10秒とかからずに滑り降りてしまうので面白味には欠けていたけれども。
 この度の積雪でもスキーヤーたちは「箱根山」に集まっただろうか。

 窓の外、雪はまだ降りしきっていた。
 ふと、あの懐かしい歌が唇に蘇ってきた。

雪やこんこ 霰やこんこ
降っては 降っては
ずんずん 積る
山も野原も 綿帽子かぶり
枯木残らず 花が咲く

雪やこんこ 霰やこんこ
降っても 降っても
まだ降り やまぬ
犬は喜び 庭駆けまわり
猫はこたつで 丸くなる

 子供の時分には「雪やこんこん」だと思って歌っていた。「雪やこんこ」が正しいと知ったのはずいぶん後になってからのことだ。僕と同じように思い違いしていた人は多いらしい。

 じゃ、「こんこ」って何? 「来う此」(「此処に来い」)から転じたもののようだ。「雪よここに来い」ということから、「雪よもっと降れ」という意味になる、とのこと。

 子供の僕だったら、降る雪のなかに跳び出して行ったことだろう。犬と一緒に駆けまわるのも楽しいに違いない。どこであろうと駆けまわることができるのが、子供と犬の特権なのだ。
 昔は僕も「風の子」だった。しかし、いまの僕は情けない。猫みたいに部屋でぬくぬくとしていたい、などと思ってしまう。これまた年のせいか。

 ただ、雪が降っただけなのに、なぜかノスタルジックな思いが胸に去来する。ただ、雪が降っただけなのに…

   


   

弘法にも筆の誤り  1月23日(水)雪

   

 実を言うと、このタイトルをつけるに当たって『広辞苑』を引いてみた。子供の時分から大人たちに幾度となく聞かされ、自分でも使ってきた表現だけれど念には念を入れてというつもりだった。

 手持ちの第2版第7刷(1973年)と、第5版CD−ROM版(2000年)を参照した。
 前者には「学芸に長じた者にも、時には誤りがあるというたとえ」とある。後者では「どんな名人上手でも、時にはまさかの失敗をするということ。弘法大師のような書道の達人も、うっかり書き損じることがあるとして言うもの」と改められている。誤るのは学芸に長じた者ばかりではないから、この加筆訂正は納得ですなぁ。

 恥ずかしながら告白しよう。
 僕が記憶していたのは「弘法も筆の誤り」という言い方だった。『広辞苑』には「弘法にも筆の誤り」と出ている。「弘法にも」が正しいというのだ。この年になるまで知らなかった。思い込みにはくれぐれも注意したいと改めて思う。

 天下の名筆、弘法大師空海がこともあろうに字を間違えたことがある、という故事に由来するのがこの諺。
 ある時、勅命を受けた空海が京都の大内裏にある朝堂院の応天門に掲げる額を書くことになった。書き終えて実際に掛けてみると、点がひとつ足りない。「応」(旧字だから“應”だろうけど)は「まだれ」が正しい。ところが、「がんだれ」になっていた。それに気づいた空海は筆を投げつけて点を補ったのだとか。さすが弘法大師空海、お見事。

 自戒の弁を述べた、その舌の根も乾かないうちに言うのもナンだけれど、僕たちが言葉の意味を調べる際に頼りにしているその『広辞苑』に誤記があった。1月21日の読売新聞夕刊の記事で知った。
 昭和30年(1955年)の初版から、今年刊行されたばかりの『広辞苑』第6版に至るまで、「芦屋」の項目の記述に誤りがあったという。

 さっそく、「芦屋」の項を見た。
 「兵庫県南東部の市。阪神間の住宅地」の後にこうあった。「万葉集の菟原処女ウナイオトメ、在原行平と松風・村雨の伝説などの舞台」。
 この定義の後半が違う、との指摘を受けた。能や浄瑠璃、歌舞伎で演じられる「松風」の舞台は同じ兵庫県でも須磨なのだ。松風と村雨という名の姉妹は海人(あま)で、摂津国須磨の海岸で汐汲みするという設定。

 大学生の頃、水道橋能楽堂で「松風」を観たことがある。失礼ながら演者の名前は忘れてしまったけれど、秋の月夜に潮汲み車を引くシテの姿などが朧げながら想い出される。

 姉の松風と妹の村雨とは、歌人でもあった中納言行平、在原行平(818〜893)が須磨に左遷されていた時に愛された女たちだった。行平は色男の典型と言われた在原業平(825〜880)の兄に当たる。美貌の姉妹は行平への一途な想いを捧げる。が、身分があまりにも違いすぎる。やがて二人を残して行平は立ち去ってしまう。

百人一首の読み札に描かれた在原行平。「たち別れ…」の文字が見える。

 能の粗筋をたどっておこう。
 旅の僧が須磨の浦にたどり着き、いわくありげな一本の松の木に出会う。土地の者が言うには、松風・村雨という二人の海人の旧居とのこと。そこに二人の幽霊が姿を現わす。
 後ジテの松風は行平の形見の烏帽子と狩衣を身にまとい、松を行平に見立てながら狂ったように舞う。そして、百人一首にも採られた次の歌が謳われる。
 「たち別れいなばの山の峰に生ふるまつとしきかば今帰り来む」。「去(い)なば」と因幡国(いなばのくに)、「松」と「まつ」が掛けられている。

 そうこうするうちに夜が明ける。旅の僧を残して松風・村雨の霊は去って行く。「帰る波の音の、須磨の浦かけて、吹くやうしろの山颪、関路の鳥も声声に、夢も後なく夜も明けて、村雨と聞きしもけさ見れば、松風ばかりや残るらん、松風ばかりや残るらん」。
 後に残るものは松に吹く風ばかり…。

 山陰電鉄本線須磨寺駅の近くに松風村雨堂があると聞いた。須磨を去る時に行平が植えた松もあるそうだ。いつか機会があったら訪れてみたい地のひとつだ。

 須磨にはこれだけの物語が刻まれているのだから、『広辞苑』の誤記はつくづく惜しい。とはいえ、思い違いは誰にでもあることだから目くじらを立てるつもりはない。増刷の際には修正されると新聞は伝えている。
 ここはもう一度、「弘法にも筆の誤り」があり得ることを想い起こし、もって他山の石としたい。

   


   

「神さまが見てござる」  1月21日(月)曇り

   

 小柄ながら恰幅が良く、白髪が黒いキャソック(司祭服)に映えていた竹田鐵三先生。立教学院のチャプレンとして、生意気盛りの中学生だった僕たちに気さくな語り口で聖書の話をしてくださったのを思い出す。
 教師や生徒たちの誰からも「竹田ファーザー」と呼ばれ、慕われていた。

 大学構内にあるチャペルが月に1回、「チャペルニュース」という小冊子を刊行していた。竹田ファーザーは、毎号「鐡神父雑話」という楽しい文章を連載されていた。
 エッセイやコラムといったほど長いものではなかったけれど、さっと読めてふ〜んと思わせる話が並んでいた。なかには小噺みたいに笑えるものもあった。

 それらの文章が『話の手帖』という文庫版の本にまとめられた。中学1年生の頃だったろうか、その本をいただいて読んだ。不肖の弟子だったので、いまはどこに行ったか手元にない。誠に申し訳ない限り。

 辛うじて、二つほど『話の手帖』に出ていたエピソードを憶えている。
 ひとつは、「悪魔は否定形でやって来る」というもの。旧約聖書「創世記」に出てくるエデンの園でのお話。

 神によって創造された最初の男アダムと、彼の肋骨から作られた女イヴ(聖書ではエヴァ)が何の不自由もなく裸で暮らしていた。楽園内にあるどんなものでも食べることができた。
 しかし、エデンの園のまんなかにある「知恵の木」の実だけは食べることを神から厳しく禁じられていた。

 ところがある日、イヴが蛇の誘いに乗ってその禁断の実を食べてしまう。そのおいしさをアダムにも分け与えようとする。アダムは初め戸惑っていたが、結局その実を口にしてしまう。と、二人は自分たちが裸であることに目覚め、イチジクの葉で前を隠した。
 そのことが神に露見して、アダムとイヴはエデンの楽園を追放されてしまう。これが「失楽園」物語。

 竹田ファーザーは『話の手帖』でこんなことを書いておられた。
 蛇に身をやつした悪魔がイヴを誘った時に、どんな言葉を使ったか。おそらくは「この実を食べてみないか」と、否定形だったのではないか。そして、イヴもまたアダムに同じように否定形で誘いの言葉をかけたのではないか、と。

 いまも盛り場では「お兄さん、寄って行かない?」といった誘いの言葉が頻繁に用いられているではないか、というようなオチだった。
 なるほど、「〜しようよ」という直截な誘いかけもあるけれど、「〜しない?」という否定形の表現もまた魅力的に響くこともあるなぁ。

 もうひとつ、「神さまが見てござる」という文章も印象に残っている。何分、『話の手帖』が手元にないので、ディテイルが間違っているかもしれないけれどご勘弁を。

 昔、ギリシアでのこと。とある神殿の柱だったか、屋根だったかに彫刻を施すことになった。ひとりの熟練工が、長い梯子をかけて上へ上へと彫刻していった。下からは見えないほどの高さにまで丁寧な仕事をする彼の姿を見て、他の仲間たちが言った。「おーい、そんな所まで誰も見やしないぞ。いい加減にして降りて来いよ」。
 熟練工はその声に答える。「神さまが見てござる」。

 彼のやり方は、仕事を適当にやって手間賃だけを貰うというものではない。
 神さまに見られても恥ずかしくない、心の行き届いた仕事をしたいという一念が彼を衝き動かしたのだと思う。

 「神」を持ち出すのがお気に召さなければ、「良心」と言い換えてもいい。「理性」でも「モラル」でも構わない。自分の心をそこに映してみて恥じることのない、“何か”だ。

 その“何か”が揺らいでいたり、ないがしろにするとロクなことにはならない。
 去年から今年にかけて様々な業界で明るみに出た偽装の数々。その当事者たちは、否定形でやって来る悪魔の囁きに乗って目先の利益だけに走り、肝腎な“何か”を見失っているからこそ起きたのだと僕は考える。

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エディット・ピアフ 〜愛の讃歌〜
配給:ムービーアイ 今秋、有楽座ほか全国ロードショー!

エディット・ピアフを彷彿とさせるマリオン・コティヤール

ムービーアイ エンタテインメント(株) 映画配給部
〒104-0061 東京都中央区銀座6丁目1-2 ダヴィンチ銀座ビル4F 
TEL:03-5537-0151 FAX:03-5537-0853
http://www.movie-eye.com
http://www.piaf.jp

(C)2007 LEGENDE-TF1 INTERNATIONAL-TF1 FILMS PRODUCTION
OKKO PRODUCTION s.r.o.- SONGBIRD PICTURES LIMITED

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『シャルル・アズナヴール/ベスト・ソングス&ライヴ』
      (東芝EMI TOCP-70188/89 2枚組)

CD1:ベスト・オブ・スタジオ
〈曲目〉1.コメディアン 2.希望に満ちて 3.想い出をみつめて 4.遠い想い出 5.昔気質の恋 6.フォー・ミー、フォルミダブル 7.ラ・マンマ 8.悲しみのヴェニス 9.ラ・ボエーム 10.これからは 11.人々の言うように 12.誰 13.想い出の瞳 14.時 15.私は旅する 16.生ける屍〜『言論犯罪』〜 17.きみが僕を愛する時 18.ユー・メイク・ミー・ソー・ヤング(フランク・シナトラとのデュエット曲) 19.少年がいた 20.世界の果てに

CD2: ベスト・オブ・ライヴ・オランピア
〈曲目〉1.それがわかれば 2.八月のパリ 3.すべては終わり 4.青春という宝〜帰り来ぬ青春 5.僕は戻ってくる 6.愚かな恋 7.燃えつきて 8.僕の肩でお泣き 9.ジャム・セッションのために 10.愛のあとで 11.生命をかけて 12.青春の思い出 13.二つのギター 14.戦いの前に 15.生きる喜び 16.声のない恋 17.きみの思い出 18.灯りを消して 19.のらくらもの 20.アヴェ・マリア

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お  知  ら  せ

詳細は10月25日付本欄をご参照願います。

イングリッド・ベタンクールかけポスター

 国際イングリッド・ベタンクール連盟委員会が全世界的に幅広い支援を呼びかけています。詳細はサイトhttp://www.educweb.org/Ingrid/をご覧下さい。日本語でも読むことができます。

 サイトhttp://www.ingridbetancourt-idf.com/otages/にも注目して下さい。画面右にある"Telechargement"(テレシャルジュマン=ダウンロード)から、イングリッドのポスターをダウンロードできるようになっています。この「お知らせ」欄に掲げた写真と同じものです。

 同じページを下方へスクロールしていくと、左側に写真が縦に並べられています。いろいろなドキュメントを見ることができます。
 上から5番目に"Allumez une bougie"「ローソクを灯して」という項目があります。写真をクリックすると、多くのローソクが並ぶ画面になります。一番下にあるローソクの絵をクリックしてみましょう。その絵が動いてすでに光を放っている列に向かって進んで行きます。
 これで、ヴァーチャルなローソクを1本灯したことになるのです。

イングリッド・ベタンクール解放を訴えるシャンソンたち

 囚われの身となっているイングリッドやその他の人々の解放を歌うことを通して呼びかけているアーティストたちがいます。

 ☆ルノー Renaud 《Dans la jungle》「ジャングルのなかで」(EMI 09463 494690 2)
サイトhttp://www.educweb.org/Ingrid/ からインストゥルメンタル・ヴァージョンをダウンロードできます。

 ☆セシレム Cecilem ピアノを弾きながら歌う女性歌手セシレムが"Chanson pour Ingrid" を歌っています。Emexのサイトからmp3形式でダウンロードできます。

http://emex-music.com/cecilem/

http://www.emex-music.com

歌を聴きながら、イングリッドと人質の方々を支援しましょう。


♪Petites annonces♪

☆『ディア・ピアフ ベスト・オブ・エディット・ピアフ』
(東芝EMI TOCP-67296)

ピアフを敬愛するアーティストたちがセレクトした11曲を含む珠玉のベスト・アルバム。
「恋人が一輪の花をくれた」石井好子 撰/「バラ色の人生」椎名林檎 撰/「パリの空の下」小野リサ 撰/「いつかの二人」クレモンティーヌ 撰/「水に流して」中島みゆき 撰 他全20曲、【解説】大野修平。


♪Petites annonces♪
おすすめシャンソン・フランセーズCD&DVD
(対訳または解説:大野修平)
   
東芝EMI
BMGファンハウス
『シャンソン名曲大全集』
Le florilege de la Chanson Francaise
(GSD-13601〜10/BCD-0094 CD10枚組)
『魅惑のシャンソン名曲集
 〜Vive la Chanson!〜』
TheCDClub
(EMI ODEON FFCP-41710〜1 CD2枚組)
パトリック・ブリュエル
『アントゥル=ドゥ』
(BVCM 34015〜16 CD2枚組)
☆このCDについての詳細は当サイト「ディスクガイド」をご参照下さい。
ユニバーサル・ミュージック・ジャパン
オーマガトキ

ジャック・ブレル
『ベスト・オブ・ジャック・ブレル Brel Infiniment Jacques Brel』
(UICY-9450)

アンリ・サルヴァドール
『ベスト・オブ・アンリ・サルヴァドール』
Henri Salvador Henri Salvador
(CD2枚組 UICY-1258/9)

『アコーデオン』
(DVD OMBX-1004)
[監督]ピエール・バルー
[出演]リシャール・ガリアーノ/タラフ・ドゥ・ハイドゥークス/クロポルト/ダニエル・ミル/モーリス・ヴァンデール/シブーカ/クロード・ヌガロ/coba/続木力/深川和美/まや他