小柄ながら恰幅が良く、白髪が黒いキャソック(司祭服)に映えていた竹田鐵三先生。立教学院のチャプレンとして、生意気盛りの中学生だった僕たちに気さくな語り口で聖書の話をしてくださったのを思い出す。
教師や生徒たちの誰からも「竹田ファーザー」と呼ばれ、慕われていた。
大学構内にあるチャペルが月に1回、「チャペルニュース」という小冊子を刊行していた。竹田ファーザーは、毎号「鐡神父雑話」という楽しい文章を連載されていた。
エッセイやコラムといったほど長いものではなかったけれど、さっと読めてふ〜んと思わせる話が並んでいた。なかには小噺みたいに笑えるものもあった。
それらの文章が『話の手帖』という文庫版の本にまとめられた。中学1年生の頃だったろうか、その本をいただいて読んだ。不肖の弟子だったので、いまはどこに行ったか手元にない。誠に申し訳ない限り。
辛うじて、二つほど『話の手帖』に出ていたエピソードを憶えている。
ひとつは、「悪魔は否定形でやって来る」というもの。旧約聖書「創世記」に出てくるエデンの園でのお話。
神によって創造された最初の男アダムと、彼の肋骨から作られた女イヴ(聖書ではエヴァ)が何の不自由もなく裸で暮らしていた。楽園内にあるどんなものでも食べることができた。
しかし、エデンの園のまんなかにある「知恵の木」の実だけは食べることを神から厳しく禁じられていた。
ところがある日、イヴが蛇の誘いに乗ってその禁断の実を食べてしまう。そのおいしさをアダムにも分け与えようとする。アダムは初め戸惑っていたが、結局その実を口にしてしまう。と、二人は自分たちが裸であることに目覚め、イチジクの葉で前を隠した。
そのことが神に露見して、アダムとイヴはエデンの楽園を追放されてしまう。これが「失楽園」物語。
竹田ファーザーは『話の手帖』でこんなことを書いておられた。
蛇に身をやつした悪魔がイヴを誘った時に、どんな言葉を使ったか。おそらくは「この実を食べてみないか」と、否定形だったのではないか。そして、イヴもまたアダムに同じように否定形で誘いの言葉をかけたのではないか、と。
いまも盛り場では「お兄さん、寄って行かない?」といった誘いの言葉が頻繁に用いられているではないか、というようなオチだった。
なるほど、「〜しようよ」という直截な誘いかけもあるけれど、「〜しない?」という否定形の表現もまた魅力的に響くこともあるなぁ。
もうひとつ、「神さまが見てござる」という文章も印象に残っている。何分、『話の手帖』が手元にないので、ディテイルが間違っているかもしれないけれどご勘弁を。
昔、ギリシアでのこと。とある神殿の柱だったか、屋根だったかに彫刻を施すことになった。ひとりの熟練工が、長い梯子をかけて上へ上へと彫刻していった。下からは見えないほどの高さにまで丁寧な仕事をする彼の姿を見て、他の仲間たちが言った。「おーい、そんな所まで誰も見やしないぞ。いい加減にして降りて来いよ」。
熟練工はその声に答える。「神さまが見てござる」。
彼のやり方は、仕事を適当にやって手間賃だけを貰うというものではない。
神さまに見られても恥ずかしくない、心の行き届いた仕事をしたいという一念が彼を衝き動かしたのだと思う。
「神」を持ち出すのがお気に召さなければ、「良心」と言い換えてもいい。「理性」でも「モラル」でも構わない。自分の心をそこに映してみて恥じることのない、“何か”だ。
その“何か”が揺らいでいたり、ないがしろにするとロクなことにはならない。
去年から今年にかけて様々な業界で明るみに出た偽装の数々。その当事者たちは、否定形でやって来る悪魔の囁きに乗って目先の利益だけに走り、肝腎な“何か”を見失っているからこそ起きたのだと僕は考える。
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