最寄駅のすぐ近くにあったアカシア書店という古本屋が姿を消してしまった。白髪にメガネをかけた高齢の主人は店の奥に陣取って、ノートパソコンのキーボードを叩いていることが多かった。
その親爺さんの足元にはいつも大きな犬が寝そべっていた。棚に並んだ本を眺めながら奥に行く際、気をつけないとその犬をにぶつかってしまいそうになったものだ。
文学書から実用書まで、小規模な店ながら粒がそろっていた。コミックやエロ写真集などを置いてないのも店主の見識だったろう。
そこそこ客は入っていたようだったけれど、一昨年だったか店を閉じた。
その後は焼きそばやお好み焼きを売る店になっている。
駅を出た街道沿いにはブックオフが進出している。本が安く手に入るので僕もよく利用する。便利ではあるけれど、古本屋の持つあの独特な雰囲気はない。
どこかとっつきにくいけれど馴染んでしまえば興味が尽きない、昔ながらの古本屋が消えてゆくのは寂しい。
少し遠くにもう一軒、古本屋がある。司書房という。こちらも良心的な本を揃えているのでたまに立ち寄る。
そこで昨年の暮、興味深い本を見つけた。
著者は小内 一さんで、職業は校正者。本のタイトルは『究極版 逆引き頭引き日本語辞典 名詞と動詞で引く17万文例』。講談社+α文庫の一冊。
雑誌や書籍の校正をしている小内さんは時々、妙な言いまわしに出会って頭を抱えることがあった。その体験に基づいて編まれていて実用性が高い。
凡例にこうある。「名詞と動詞の結びつきのなかで、とくに格助詞『を』で結ばれた名詞と動詞の用例を豊富に収録した」。
見出し語が名詞の場合、その語に「を」をつけて対応語につなげて使う例が示されている。
要するにこういうことだ。
見出し語が「愛」だとしよう。これに「を」をつけて使う単語が並んでいる。たとえば
(愛を)あきらめる、(愛を)打ち明ける、(愛を)独占する、(愛を)盗む… といった具合。
ところが、「囁く」という言い方が抜けているのはどうしてなんだろう。
「愛の讃歌」と「愛の歓び」という名詞が見出し語に掲げられている。
シャンソン・フランセーズに関わる者としては嬉しい。これだけでこの辞書を買う気になってしまった。
冗談はさておこう。
「愛の讃歌」に「を」をつけてふさわしい語として挙げられているのは、「奏でる」。つなげてみると、「愛の讃歌を奏でる」。
では、「愛の歓び」はどうだろう。「歌い上げる」という語が掲げられている。つなげてみれば、「愛の歓びを歌い上げる」となる。
という具合に、引き方を心得てしまえばなかなか使い勝手のいい辞書なのだ。
動詞を見出し語に立てている例も多い。こんな笑える例があった。
はらはらさせる 動詞 読者。編集者。
見出し語「はらはらさせる」に「を」を添えて読んでみてほしい。と、こうなる。「読者をはらはらさせる」、「編集者をはらはらさせる」。
読者は本や雑誌の内容にはらはらさせられる。編集者は著者からなかなか上がってこない原稿にはらはらさせられながら日々を送っている。
こうういうところに、校正者としての小内さんの経験が生かされているように感じる。
同じく動詞の「どきどきさせる」には、こう出ている。
どきどきさせる 動詞 心臓。読者。胸。
「心臓を」どきどきさせる、「読者を」どきどきさせる、「胸を」どきどきさせる、という風に「を」の一字をつけて読む。
ここにも「読者」が顔を出している。ところが「編集者」は見当たらない。どきどき胸を高鳴らせるのは読者の特権というわけだろう。
それにひきかえ編集者は、僕のように締め切りを守らない執筆者にはらはらさせられてばかりいる種族ということになるんだろうか。お疲れさまです。
読者をどきどきさせ、編集者をはらはらさせないような本を書いてみたいと思いを新たにしている。