4月7日(月)、北京オリンピックの聖火がパリを駆け抜けた。いや、駆け抜けるはずだった。
エッフェル塔を出発した聖火は途中で4回も消され、バスに乗せられ、予定コースも短縮した上でシャルレティ競技場に着いたのだった。
チベットの人々を支援する「国境なき記者団」の手によって、エッフェル塔やノートル=ダム聖堂に五輪の代わりに五つの手錠をあしらった横断幕が掲げられた。
警官隊とチベット人、支援者たちによるデモ隊との小競り合いも報じられた。手にしたチベットの旗が警官によってもぎ取られてゆく、民族の歴史と誇りの結集が…。
「自由なチベットを」と叫びながら道路に倒れた青年は口から血を流していた。フランスのTVでは、ひとりの警官がその血をハンカチで拭うシーンが一瞬流れたのがせめてもの救いを見た思いがする。
オリンピックと政治は切り離して考えるべきだ、という意見がある。理想を言えばそうだろう。しかし、オリンピックはとうの昔に政治と無縁ではなくなっている。
1916年の第6回ベルリン大会は、第一次世界大戦のため中止された。アドルフ・ヒトラーが大会組織委員総裁を務めたのは1936年、第11回ベルリン大会。日中戦争のまっただなかだった1940年には、第12回東京大会がキャンセルされた。ヒトラーのポーランド侵攻によって第二次世界大戦が始まった1944年のロンドン大会も流れた。
第20回ミュンヘン大会('72年)では、会期中に選手村内のイスラエル選手宿舎に乱入した黒い九月のメンバーによって惹き起こされた痛ましいテロ事件もあった。
第21回モントリオール大会('76年)ではアフリカ諸国が不参加を表明、第22回モスクワ大会('80年)では東西冷戦の煽りを受けて西側諸国が、第23回ロサンゼルス大会('84年)ではその報復としてソ連と東欧諸国がボイコットを繰り返した。
このようにして、“平和の祭典”オリンピックはその理想に反して、それぞれの時代における各国の政治状況に左右され続けてきている。つくづく残念なことだと思う。
「勝つことにではなく、参加することに意義がある」という言葉もオリンピックの理念として掲げられている。
この名言に異を唱えるつもりはない。
しかし、中国がどれほど覆い隠そうとしても、同国政府によるチベット圧政は世界中の人々の目に明らかとなっている。民主主義や自由、人権が踏みにじられている国で開かれるオリンピックに参加することに果たして意義があるのだろうか、という疑問を抱かざるを得ない。
聖火がパリの街をよろけるように通り抜けて行った7日、パリ市庁舎に横断幕が掲げられた。そこには大文字でこう書かれていた。「パリは世界のどこでも人権を守る」"PARIS DEFEND LE DROIT DE L'HOMME PARTOUT DANS LE MONDE"。
パリは言うべきことを言った、というのが僕の率直な感想だ。
『人および市民の権利宣言』《Declaration des droits de l'homme et du citoyen》(1789年8月26日に採択)第4条にこう記されている。「自由は、他人を害しないすべてをなし得ることに存する」。
民主主義国家はみずからの拠って立つ原則に従って行動すべきなのは言うまでもない。
フランス革命期に打ち出されたこの原則に照らしてみれば、今回のチベット人たちや彼らの支援者たちによる行動も、それを不服とする中国人たちの抗議行動もともに容認されるべきだ。彼らはそれぞれに自由を行使しているのだから。ただ、「他人を害しない」という肝腎な一点が守られているかどうかが焦点ではあるけれど。
女性歌手ミレイユ・マチューはルネ・クレマン監督映画『パリは燃えているか』(1966年、原作:ドミニク・ラピエール&ラリー・コリンズ)の主題歌を歌った。歌の原題は「怒れるパリ」"Paris en colere"(作詞:モーリス・ヴィダラン、作曲:モーリス・ジャール)。こう歌い出される。
「誰かが自由に手出しをする時/パリは怒り出し/唸り声を上げ始める/あくる日は戦いだ」"Que l'on touche a la liberte / Et Paris se met en colere / Et Paris commence a gronder / Et le lendemain c'est la guerre"
自由や正義が侵される時、怒りを表明するのもまた、民主主義の国に生きる者の権利であり、義務でもあると考える。パリの住人たちはそうした不愉快な事態に黙ってはいない。
いやパリだけに限らず、フランス人一般に自由と人権への思いは強い。
翻ってこの国のリーダーや政治家たちは、チベットで起きていることや北京オリンピックについて何も語ろうとしないのはどうしたわけだろう。言うべきことを言ったパリと比べていささか心許ない。
ダライ・ラマ法王日本代表部事務所のサイトで、代表者のラクバ・ツォコさんが僕たち日本人に向けて次のようなメッセージを発している。
「ひとりの人間として、不正や暴虐に抗議の声をあげる精神と行動は、自由で平和な世界をつくるうえで大きな貢献となるのです」。
自由と責任の名において僕たちがするべきことは何か、それぞれに考えたい。